☆Z《けうじ》の恣《ほしい》まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古《いにしへ》の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ[#「ギドオ・レニイ」に傍線](伊太利畫工)が仰塵畫《てんじやうゑ》の朝陽《あさひ》と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞《めぐ》りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ[#「ベアトリチエ・チエンチイ」に傍線](羅馬に刑死せし女の名)の少《わか》かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら/\しき雜音は愈※[#二の字点、1−2−22]高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し/\、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に翻《ひるがへ》りぬ。

   即興詩の作りぞめ

 この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、膽《きも》太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。
 姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナ[#「ピアツツア、コロンナ」に二重傍線]に至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔《やはらか》さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴《つれ》のものは覺えず微《かすか》なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍《やど》り給へり。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一群を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が我歌を喜べるさまをのみ見き。
 翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]、昨夜の火伴《つれ》の二人三人は我に先だちて座にありき。姫のいはく。きのふ絃歌の中にて「テノオレ」の聲のいと善きを聞きつといふ。我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。それこそアントニオ[#「アントニオ」に傍線]なれと告ぐるものあり。姫は直ちに我を引きて「ピアノ」の前に往き、倶《とも》に歌へと勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三|辭《いな》みたるに、人々側より促して止まず、又ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は聲を勵まして、さては汝切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするかと責めたり。姫に手を拉《ひ》かれたる我は、捕《とらへ》られし小鳥に殊ならず。縱《たと》ひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟《ヅエツトオ》なり。姫は「ピアノ」に指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々《たん/\》とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わが怯《おそれ》は已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采を吝《おし》まず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。
 このときベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は汝はいつも人の意表に出づる男ぞとつぶやきて、さて衆人に向ひ、吾友には猶かくし藝こそあれ、そは即興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずやといひき。喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が一言の囑《たのみ》を待ちて、大膽にも即興の詩を歌はんとせり。この技は人と成りての後未だ試みざるものなるを。我は姫の「キタルラ」を把《と》りぬ。姫は直に不死不滅といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃を撥《はじ》くこと二たび三たび、やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘《ギリシア》の緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典《アテエン》は荒草斷碑の中にあり。こゝに野生の無花果樹《いちじゆく》の摧《くだ》け殘りたる石柱を掩《おほ》へるあり。この間には鬼の欷歔《ききよ》するを聞く。むかしペリクレエス[#「ペリクレエス」に傍線]の世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは美の祭を執《と》り行へるなり。ライス[#「ライス」に傍線](名娼の名)の如く美しき婦人は環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黄土となりぬ。當時の民の目を悦ばしたる形は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫《ぐわれき》の中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人の俤《おもかげ》を認めき。あはれ古人が美をかう/″\しき迄に進めて、雪の如き石に印し、これを後昆《こうこん》に遺したるこそ嬉しけれ。見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美いかでか死滅すべき。詩神は又波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址に踞《きよ》して、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]河の黄なる水は昔ながらに流れたり。されどホラチウス・コクレス[#「ホラチウス・コクレス」に傍線]が戰ひし處には、今|筏《いかだ》に薪と油とを積みてオスチア[#「オスチア」に二重傍線]に輸《おく》るを見る。されどクルチウス[#「クルチウス」に傍線]が炎火の喉《のんど》に身を投ぜし處には、今牧牛の高草の裡《うち》に眠れるを見る。アウグスツス[#「アウグスツス」に傍線]よ。チツス[#「チツス」に傍線]よ。汝が雄大なる名字《みやうじ》も、今は破れたる寺、壞れたる門の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテル[#「ユピテル」に傍線]の猛《たけ》き鳥は死して巣の中にあり。あはれ羅馬よ。汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀《かゞや》きて、その光は全歐羅巴を射たり。既に倒れたる帝座は、又起ちてペトルス[#「ペトルス」に傍線]の椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣《とせん》してこゝに來り、その下に羅拜せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されどペトルス[#「ペトルス」に傍線]の刀いかでか※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さび》を生ずべき。寺院の勢いかでか墮つる期《ご》あるべき。縱《たと》ひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民に崇《あが》められん。東よりも西よりも、又天寒き北よりも、美を敬《うやま》ふ人はこゝに來て、羅馬よ、汝が威力は不死不滅なりといはん。この段の畢《をは》るや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテ[#「アフロヂテ」に傍線]の像の如く、其|眸《ひとみ》には優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺に遷《うつ》れり。こゝに技倆すぐれたる俳優あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり。歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭を低《た》れたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。かゝる俳優も歌|歇《や》み幕落ちて、喝采の聲絶ゆるときは、其藝術は死なん。死して美き屍《かばね》となりて、聽衆の胸に※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1−88−54]《うづ》められたるのみならん。されど詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝに※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1−88−54]《うづ》めらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん。我目はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、君は深く我心を悦ばしめ給ひぬといひぬ。我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。
 そも/\劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の間に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれどその※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2−1−57]忽《しゆくこつ》にして滅するや、彼も此も迹《あと》の尋ぬべきなし。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]とアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が技《わざ》とは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能く曉《さと》り得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。
 我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭の日はいつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されどこの間われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が我に賦《ふ》したる樂天主義の賜《たまもの》なりき。或時ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]のいふやう。汝はやうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど汝はまだ唇を杯の縁にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭の女子の肩に倚《よ》らざるを。今若しアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]まことに汝を愛せばいかに。我。思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず。彼。あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]とは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ。我。姫がやさしさ、賢《さか》しさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし。彼。汝が眞面目なるおも持こそをかしけれ。好し/\、我は汝が言を信ぜん。汝は素《もと》より蛙なんどに等しき水陸兩住の動物なり。現《うつゝ》の世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし、わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く愛せざるべし。されど汝が姫に對する情果して戀に非ずば、今より後彼に對して面をあかめ、火の如き目《ま》なざしゝて彼に向ふことを休《や》めよ。そは彼君のためにあしかりなん。傍より見ん人の心のおもはれて。されど姫はあさて此地を立つといへば、最早その憂もあらざるべし。基督再生祭の後には歸るといへど、そも恃《たの》むべきにはあらず。これを聞きたるとき、我胸は躍りぬ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を見るべからざること五週に亙《わた》るべし。彼君はフイレンツエ[#「フイレンツエ」に二重傍線]の芝居に傭《やと》はれ、斷食日の初にこゝを立つなりとぞ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は語を繼ぎていはく。かしこに至らば崇拜者の新なる群は姫がめぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば汝が即興の詩の如きも、その時こそ姫のやさしき目なざしに、
前へ 次へ
全68ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング