エわら》ひていはく。あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧りたり。我に代言せしむるものは、天の祐《たすけ》を得たらん如し。かく誇りかに告げて大蹈歩《おほまた》に去りぬ。ピアツツア、コロンナ[#「ピアツツア、コロンナ」に二重傍線]に伶人の群あり。非常を戒めんと、徐《しづか》にねりゆく兵隊の間をさへ、學士《ドツトレ》、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演説を始めしに、書記の服着たる男一僕を隨へたるが我前に來て、僕《しもべ》に鐸《おほすゞ》を鳴《なら》さする其響耳を裂くばかりなれば、われ我詞を解《げ》し得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。我は道の傍に築《きづ》きたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の競馬始らんとするなれば、兵士は人を攘《はら》はんことに力を竭《つく》せり。街の一端に近きポヽロ[#「ポヽロ」に二重傍線]の廣こうぢに索《つな》を引きて、馬をば其|後《うしろ》に並べたり。馬は早や焦躁《いらだ》てり。脊には燃ゆる海綿を貼《は》り、耳後には小き烟火具《はなび》を裝ひ、腋《わき》には拍車ある鐵板を懸けたり。口際に引き傍《そ》ひたる壯丁《わかもの》はやうやくにして馬の逸《はや》るを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こは埒《らち》にしたる索を落す合圖なり。馬は旋風《つむじかぜ》の如く奔《はし》りて、我前を過ぎぬ。幣《ぬさ》の如く束ねたる薄金《うすがね》はさら/\と鳴り、彩りたる紐は鬣《たてがみ》と共に飄《ひるがへ》り、蹄《ひづめ》の觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時彼鐵板は腋を打ちて、拍車に釁《ちぬ》ると聞く。群衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさま艫《とも》打《う》つ波に似たり。けふの祭はこれにて終りぬ。
歌女《うため》
衣《きぬ》脱《ぬ》ぎ更へんとて家にかへれば、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]訪《とぶら》ひ來て我を待てり。われ。いかなれば茲《こゝ》には來たる。さきの婦人をばいづくにかおきし。友は指を堅《た》てゝ我を威《おど》すまねしていはく。措《お》け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅《いであ》ひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきにかゝることをばなど言ひたる。然《さ》れどもこのたびは釋《ゆる》すべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ[#「カルタゴ」に二重傍線]女王の名にて又|樂劇《オペラ》の名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃《しかのみなら》ず主人公に扮するは、嘗てナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]に在りしとき、闔府《かふふ》の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女《うため》なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、絶《はなは》だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ば信《まこと》ならんには、汝が「ソネツトオ」の工《たくみ》を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫《すみれ》の花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心に協《かな》はゞ、我はこれを贄《にへ》にせんといふ。我は共に往かんことを諾《うべな》ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂《たのしみ》をば、つゆ遺《のこ》さずして嘗《こゝろ》みんと誓ひたればなり。
今は我がために永く※[#「言+爰」、第4水準2−88−66]《わす》るべからざる夕となりぬ。我|羅馬日記《ヂアリオ、ロマノ》を披《ひら》けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]如《も》し日記を作らば、また我筆に倣《なら》はざることを得ざるならん。そも/\「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵《プラフオン》、オリユムポス[#「オリユムポス」に二重傍線]の圖を寫したる幕、黄金を鏤《ちりば》めたる觀棚《さじき》など、當時は猶新なりき。棚《さじき》ごとに壁に鉤《かぎ》して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]必ずその月旦を怠ることなし。
開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲の敍《じよ》と看做《みな》さるべきものなり。狂※[#「風にょう+(犬/(犬+犬))、第4水準2−92−41]《きやうへう》波を鞭《むちう》ちてエネエアス[#「エネエアス」に傍線]はリユビア[#「リユビア」に二重傍線]の瀲《なぎさ》に漂へり。風波に駭《おどろ》きし叫號の聲は神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂド[#「ヂド」に傍線]が戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴《はうふつ》としてその面影を認めしめたり。忽ち角聲|獵《かり》を報ず。暴風又起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室《いはむろ》の中に入りぬ。是れ温柔郷なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛《れつぱく》の聲あり。幕は開きたり。
エネエアス[#「エネエアス」に傍線]は去らんとす。去りてアスカニウス[#「アスカニウス」に傍線](エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ[#「ヘスペリヤ」に二重傍線](晩國の義、伊太利)を略せんとす。去りてヂド[#「ヂド」に傍線]を棄てんとす。憐むべしヂド[#「ヂド」に傍線]はおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアス[#「エネエアス」に傍線]が歌にいはく。その夢は早晩《いつか》醒むべし。トロアス[#「トロアス」に二重傍線]の兵《つはもの》黒き蟻の群の如く獲《えもの》を載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん。
ヂド[#「ヂド」に傍線]は舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客|屏息《へいそく》してこれを仰ぎ瞻《み》たり。その態度、その嚴《おごそか》なること王者の如くにして、しかも輕《かろ》らかに優しき態度には、人も我も徑《たゞち》に心を奪はれぬ。初めわれこのヂド[#「ヂド」に傍線]といふ役を我心に畫きしときは、その姿いたく今見るところに殊《こと》なりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく愛らしく、些《ちと》の塵滓《じんし》を留めざる美しさは、名匠ラフアエロ[#「ラフアエロ」に傍線]が空想中の女子の如し。烏木《こくたん》の光ある髮は、美しく凸《なかだか》なる額を圍めり。深黒なる瞳には、名状すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱を撼《ゆるが》さんとせり。こは未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何《ゆゑいかに》といふに、彼は今|纔《わづか》に場《ぢやう》に上りて、未だ隻音《せきおん》をも發せざればなり。彼は面《おもて》に紅を潮して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調《レチタチイヲオ》の上にあらはしつ。
友は遽《にはか》に我|臂《ひぢ》を把《と》りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利《めきゝ》は違ふことなし。われ。例のとは誰が事ぞ。友。猶太廓《ゲツトオ》の少女なり。されど彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり。友は再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂド[#「ヂド」に傍線]は戀の歡を歌へり。清き情は聲となりて肺腑より迸《ほとばし》り出づ。是時《このとき》に當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲に喚《よ》び醒《さま》されんとする如し。この記念は我が全く忘れたるものなりき。この記念は近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]と倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われ穉《をさな》かりし時、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺にて聖誕日の説教をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ或は其人にはあらずや。
エネエアス[#「エネエアス」に傍線]は無情なる語を出せり。我は去りなん。我は嘗ておん身を娶《めと》りしことなし。誰かおん身が婚儀の松明《まつ》を見しものぞ。この詞を聞きたるときの心をば、ヂド[#「ヂド」に傍線]いかに巧にその眉目の間に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚、ことばに現すべからざる痛、負心《ふしん》の人に對する忿《いかり》、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂド[#「ヂド」に傍線]は今|主《おも》なる單吟《アリア》に入りぬ。譬へば千尋《ちひろ》の海底に波起りて、倒《さかしま》に雲霄《うんせう》を干《をか》さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑《しばら》く形あるものに喩《たと》へて言はんか。大いなる鵠《くゞひ》の、皎潔《けうけつ》雪の如くなるが、上りては雲を裂いて※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]氣《かうき》たゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍《かうりよう》の居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。
喝采の聲は屋《いへ》を撼《うごか》せり。幕下りて後も、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と呼ぶ聲止まねば、歌女は面《おもて》を幕の外にあらはして、謝することあまたゝびなりき。
第二|齣《せつ》の妙は初齣を踰《こ》ゆること一等なりき。これヂド[#「ヂド」に傍線]とエネエアス[#「エネエアス」に傍線]との對歌《ヅエツトオ》なり。ヂド[#「ヂド」に傍線]は無情なる夫のせめては啓行《いでたち》の日を緩《おそ》うせんことを願へり。君が爲めにはわれリユビア[#「リユビア」に二重傍線]の種族を辱《はづかし》めき。君がためにはわれ亞弗利加《アフリカ》の侯伯に負《そむ》きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアス[#「トロアス」に二重傍線]に向けて一|隻《せき》の舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼス[#「アンヒイゼス」に傍線](エネエアス[#「エネエアス」に傍線]の父)が靈の地下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行《ちすぢ》に下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の我に同じきを證したり。
エネエアス[#「エネエアス」に傍線]は行きぬ。ヂド[#「ヂド」に傍線]は色を喪《うしな》ひて凝立すること少《しば》らくなりき。その状《さま》ニオベ[#「ニオベ」に傍線](子を射殺されて石に化した女神)の如し。俄《にはか》にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂド[#「ヂド」に傍線]ならず、戀人なるヂド[#「ヂド」に傍線]、棄婦《きふ》なるヂド[#「ヂド」に傍線]ならず。彼は生《いき》ながら怨靈《をんりやう》となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽《たちまち》又共に怒らしむ。フイレンツエ[#「フイレンツエ」に二重傍線]の博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチ[#「レオナルドオ・ダ・ヰンチ」に傍線]が畫きたるメヅウザ[#「メヅウザ」に傍線](おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテ[#「アフロヂテ」に傍線]を作りぬ。その目の状《さま》は言ふことを須《ま》たず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。
エネエアス[#「エネエアス」に傍線]が舟は波を蹴て遠ざかりゆけり。ヂド[#「ヂド」に傍線]は夫の遺《わす》れたる武器を取りて
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