xルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が肩に打ち掛けて秋波を送れり。我が舞を知らざることの可悔《くやし》かりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。紅なる帷《とばり》の長く垂れたる背後《うしろ》にて、我等二人は「シヤムパニエ」酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調《しらべ》は耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なる痍《きず》は早くも愈《い》えて跡なきに至りしものなるべし。友のいはく。われはその後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひ治《なほ》しき。これある間は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり。友と我とは又杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は又舞踏の群に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒ども簇《むらが》りて、松明《まつ》より散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴《つれ》なりしに、今堂上にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われは帷《とばり》の蔭に跪《ひざまづ》きて神に謝したり。

   謝肉祭

 その夜は曉近くなりて歸りぬ。二日たちて人々は羅馬を立ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]は日ごとに我を顧みて、ことしは「アバテ」の位受くべき歳ぞと、いましめ顏にいふ。されば此頃は文よむ窓を離れずして、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]をも外の友をも尋ぬることなかりき。週を累《かさ》ね月を積みて、試驗|畢《をは》る日とはなりぬ。
 黒き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人はいふも更なり、今咲き出づる「アネモオネ」の花、高く聳ゆる松の末《うれ》より空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。恰も好しフランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君は、臨時の費《つひえ》もあるべく又日ごろの勞《つかれ》をも忘れしめんとて、百「スクヂイ」の爲換《かはせ》を送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙《スパニア》磴《いしだん》を驅け上りて、ペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢに光ある「スクウド」一つ抛げ與へ、そのアントニオ[#「アントニオ」に傍線]の主公《だんな》と呼ぶ聲を後《しりへ》に聞きて馳せ去りぬ。
 頃は二月の初なりき。杏花《きやうくわ》は盛に開きたり。柑子《かうじ》の木日を逐ひて黄ばめり。謝肉祭《カルネワレ》は既に戸外に來りぬ。馬に跨り天鵞絨《びろうど》の幟《のぼり》を建て、喇叭《らつぱ》を吹きて、祭の前觸《まへぶれ》する男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。穉《をさな》かりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角に佇《たゝず》みて祭の盛《さかり》を見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、「パラツツオオ、デル、ドリア」の廡《ひさし》作《づく》りの平屋根より笑ひ戲るゝ群を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。矧《まして》や「カピトリウム」に登り、「トラステヱエル」(河東の地なり、テヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば我がことしの祭に身を委《ゆだ》ねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されどこれも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草《つるくさ》となりて、わが命の木に纏《まと》へるなるべし。
 祭は全く我心を奪ひき。朝《あした》にはポヽロ[#「ポヽロ」に二重傍線]の廣こうぢに出でゝ、競馬の準備《こゝろがまへ》を觀、夕にはコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の大道をゆきかへりて、店々の窓に曝《さら》せる假粧《けしやう》の衣類を閲《けみ》しつ。我は可笑しき振舞せんに宜《よろ》しからんとおもへば、状師《だいげんにん》の服を借りて歸りぬ。これを衣《き》て云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜は殆《ほとほ》と眠らざりき。
 明日《あす》の祭は特《こと》に尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜に遜《ゆづ》らざりき。横街といふ横街には「コンフエツチイ」の丸《たま》賣る浮鋪《とこみせ》簷《のき》を列べて、その卓の上には美しき貨物《しろもの》を盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆《ゑんどう》[#「豌豆」は底本では「※[#「足+宛」、第3水準1−92−36]豆」]の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜《まじ》りたり。中には穀物の粒を石膏泥中に轉《まろが》して作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸を擲《なげう》ちて戲るゝを習とす。)コルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の街を灑掃《さいさう》する役夫《えきふ》は夙《つと》に業を始めつ。家々の窓よりは彩氈《さいせん》を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度|日景《ひかげ》を瞻《み》て、※[#「金+表」、44−下段−7]《とけい》を進退すること四分一時。所謂佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。)出窓《バルコオネ》には貴き外國人《とつくにびと》多く並みゐたり。議官《セナトオレ》は紫衣を纏ひて天鵞絨《びろうど》の椅子に坐せり。法皇の禁軍《このゑ》なる瑞西《スイス》兵整列したる左翼の方には、天鵞絨の帽《ベルレツタ》を戴ける可愛らしき舍人《とねり》ども群居たり。少焉《しばし》ありて猶太《ユダヤ》宗徒の宿老《おとな》の一行進み來て、頭を露《あらは》して議官の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホ[#「ハノホ」に傍線]にぞありける。式の辭をばハノホ[#「ハノホ」に傍線]陳べたり。我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓に栖《す》まんことをば、今一とせ許させ給へ。歳に一たびは加特力《カトリコオ》の御寺《みてら》に詣でゝ、尊き説法を承り候はん。又昔の例《ためし》に沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]を奔《はし》らんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟の代《しろ》、皆|法《かた》の如く辨《わきま》へ候はんといふ。議官《セナトオレ》は頷きぬ。(古例に依れば、この時議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今は廢《すた》れたり。)事果つれば、議官の一列樂聲と倶《とも》に階を下り、舍人《とねり》等を隨へて、美しき車に乘り遷《うつ》れり。是を祭の始とす。「カピトリウム」の巨鐘は響き渡りて、全都の民を呼び出せり。我は急ぎ歸りて、かの状師《だいげんにん》の服に着換へ、再び街に出でしに、假裝の群は早く我を邀《むか》へて目禮す。この群は祭の間のみ王侯に同じき權利を得たる工人と見えたり。その假裝には價極めて卑《ひく》きものを揀《えら》びたれど、その特色は奪ふべからず。常の衣の上に粗※[#「栲」のおいがしらの下が「丁」、第4水準2−14−59]《あらたへ》の汗衫《じゆばん》を被りたるが、その衫《さん》の上に縫附けたる檸檬《リモネ》の殼《から》は大いなる鈕《ぼたん》に擬《まが》へたるなり。肩と※[#「革+華」、第4水準2−92−10]《くつ》とには青菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり)の假髮《かづら》にて、目に懸けたるは柚子《みかん》の皮を刳《く》りぬきて作りし眼鏡なり。我は彼等に對《むか》ひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、見よ、分を踰《こ》えたる衣服の奢《おごり》は國法の許さゞるところなるぞ、我が告發せん折に臍《ほぞ》を噬《か》む悔あらんと喝《かつ》したり。工人は拍手せり。我は進みてコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]に出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞の廣間となりたり。四方の窓より垂れたる彩氈は、唯だおほいなる欄《てすり》の如く見ゆ。家々の簷端《のきば》には、無數の椅子を並べて、善き場所はこゝぞと叫ぶ際物師《きはものし》あり。街を行く車は皆正しき往還の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂《ラウレオ》の枝もて車輪を賁《かざ》りたるあり。そのさま四阿屋《あづまや》の行くが如し。家と車との隙間をば樂しげなる人|填《うづ》めたり。窓には見物の人々充ちたり。そが間には軍服に假髭《つけひげ》したる羅馬美人ありて、街上なる知人《しるひと》に「コンフエツチイ」の丸《たま》を擲《なげう》てり。我これに向ひて、「コンフエツチイ」もて人の面を撃つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭《ひや》を放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難しと論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降り灑《そゝ》ぎぬ。公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾り衒《てら》へるあり。權夫《けんふ》(夫に代りて婦人に仕ふる者、「チチスベオ」)と覺しき男これに扈從《こじう》したり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役《プルチネルラ》に打扮《いでた》ちたる一群|戲《たはむれ》に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼《すなは》ちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓に負《そむ》かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力《カトリコオ》の教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウス[#「タルクヰニウス・コルラチニウス」に傍線]が妻なるルクレチア[#「ルクレチア」に傍線](辱《はづかしめ》を受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今|安《いづく》にか在る。君は今の女子の爲すところに倣《なら》ひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進《せじみ》せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒《ものいみ》[#「齋戒」は底本では「齊戒」]するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]をそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺《たゞ》さんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さより推《お》すに、我は偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》女の身上を占ひて善く中《あ》てたるものならん。友なる男は、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、物にや狂へると私語《さゝや》ぎて、急に婦人を拉《ひ》きつゝ、巡査《スビルロ》、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りて逋《のが》れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚《さじき》々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いと喧《かまびす》し。われは思慮する遑《いとま》あらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世に儔《たぐひ》なき好事《かうず》にやあらん。忽ち肩尖《かたさき》と靴の上とに鈴つけたる戲奴《おどけやつこ》(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りたり。忽ち又いと高き踊《つぎあし》したる状師《だいげんにん》あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑《あ
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