゚《よぎ》りし街なり。木葉《このは》も草花も猶地上にあり。されど當時織り成したる華紋は、吾少時の福《さいはひ》と倶に、きのふの祭の樂と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂《つかあな》の穹窿を塞《ふさ》ぎたる大石を推し退け、柩を下ししに、底なる他《ほか》の柩と相觸れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は我を石上に跪《ひざまづ》かせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(祷爲我等《いのれわれらがために》)を唱へしめき。
 ジエンツアノ[#「ジエンツアノ」に二重傍線]を立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]と知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]の巓《いたゞき》を繞《めぐ》れり。我がカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野を飛びゆく輕き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。幾《いくばく》もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顏を見てほゝ笑み給へり。

   蹇丐

 羅馬なる母上の住み給ひし家に歸りし後、人々は我をいかにせんかと議する
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