たま》ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。
母上は隣家の女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に協《かな》ひたり。わが罪なきことは固《もと》よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ性《さが》の種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく軟《やはらか》なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獸におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。
彼《かの》尖帽宗《カツプチヨオ》の寺の僧にフラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]といへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善く諳《そらん》じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひ
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