魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋沒したる古城の彩石壁畫《ムザイコゑ》の如く、我心目に浮び出づることあり。
日は烈しかりき。湖の畔《ほとり》に降りゆきて、葡萄蔓《えびかづら》纏へる「プラタノ」の古樹の、長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔に涼しさを迎へて、編みものに心籠むることを得つ。水草の美しき頭の、蔭にありて、徐《しづか》に頷《うなづ》くさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミ[#「ネミ」に二重傍線]とジエンツアノ[#「ジエンツアノ」に二重傍線]との家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上氣づかひ給へば、數歩の外には出でざりき。こゝには古きヂアナ[#「ヂアナ」に傍線]の祠《ほこら》の址《あと》あり。その破壞して形《かた》ばかりになりたる裡に、大なる無花果樹《いちじゆく》あり。蔦蘿《つたかづら》は隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹に攀《よ》ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。
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