gニオ」に傍線]よ、さてはおん身は自ら詩人なりと許す心あるにやあらん。我上を語らんときは、不朽の業《わざ》ある人の名をば呼ばぬぞ好き。おん身は物に感動し易き情ありて、又能くさる情を解するより、直ちに己れの詩人たるを信ぜんとするならん。そは世間幾多の人の具ふる所にして、又能くする所なり。これに惑ひて徒《いたづ》らに思ひ上がりなどせば、生涯の不幸となるべきものぞといふ。われは面の火の如くなれるを覺えて、仰せはさる事ながら、わが自ら深く信ずるところをば包まで申すを聞き給へ、「サン、カルロ」座なる數千の客は我に何の由縁《ゆかり》もなきに、口を齊《ひとし》うして喝采したり、われは惠深き君の我喜を分ち給はんことを忖《はか》りしにと答へたり。夫人。おん身の友は多かるべし。されどまことにおん身の喜を分たんもの我が如きは少からん。おん身の情に厚きこと、心ざまの卑からぬことは、我等よく知りたり。さればこそをぢ君の御腹立をも申解《まうしと》かばやとさへ思ふなれ。おん身には好き稟賦《ひんぷ》あり。學ばゞ一廉《ひとかど》の人物ともなるらん。されど今の儘にては、その才僅かに坐客の耳を悦ばしむるに足りて、未だ世に立
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