《あたか》も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯《うみのかみ》の像は、重き石衣《いしごろも》を風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭《らつぱ》吹くトリイトン[#「トリイトン」に傍線]の神二人海馬を馭したり。その下には、豐に水を湛《たゝ》へたる大水盤あり。盤を繞《めぐ》れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明の裡に臥したり。截《き》り碎きたる西瓜より、紅の露滴りたるが其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫《じゆばん》一枚、鞣革《なめしがは》の袴《はかま》一つなるが、その袴さへ、控鈕《ボタン》脱《はづ》れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の絃《いと》、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又|奏《かな》づること一節。農夫どもは掌《たなそこ》打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常《よのつね》の歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調はいと妙《
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