輪廓を、鋭く空に畫《ゑが》きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色、また然《さ》る類《たぐひ》なりき。國を去りての後も、テヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]の流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃《こ》げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車《こひきぐるま》の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱、黒き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子《をとめご》さへ、扁鼓《ひらづゝみ》手に把《と》りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば聊《いさゝか》注すべし。こは單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、跳《は》ねる如き早足にて半圈に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾《もすそ》を蹇《かゝ》ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。)サンタ、
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