ニ過ぎ行きぬ。新に來り加はる人もあり、又もとより居たる人の去りていづくにか往けるもあり。ある日彼媼さへ、ひねもす出でゝ歸らざりしかば、我は賊の一人とこの山寨《さんさい》の留守することゝなりぬ。この男は年二十の上を一つばかりも超えたるならん。顏は卑しげなるものから、美しき髮長く肩に掛かり、その目《ま》なざしには、常にいと憂はしげなる色見えて、をり/\は又手負ひたる獸などの如きおそろしき氣色《けしき》現るゝことあり。我と此男とは暫し對《むか》ひ坐して語を交ふることなく、男は手を額に加へて物案ずるさまなりしが、忽ち頭を擧げて我面をまもりたり。
花ぬすびと
若者はふと思ひ付きたる如く。おん身は物讀むことを能くし給ふならん。此卷の中なる祈誓の歌一つ讀みて聞せ給へとて、懷より小き讚美歌集一卷取出でたり。われいと易き程の事なりとて、讀み初めしに、若者の黒き瞳子《ひとみ》には、信心の色いと深く映りぬ。暫しありて若者我手を握りて云ふやう。いかなれば汝は復た此山を出でんとするか。人情の詐《いつはり》多きは、山里も都大路《みやこおほぢ》も殊なることなけれど、山里は爽かに涼しき風吹きて、住む人の少
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