即興詩人
IMPROVISATOREN
ハンス・クリスチアン・アンデルセン Hans Christian Andersen
森鴎外訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)HANS《ハンス》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)文中|加特力《カトリツク》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「王+連」、第3水準1−88−24]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)たま/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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    初版例言

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一、即興詩人は※[#「王+連」、第3水準1−88−24]馬《デンマルク》の HANS《ハンス》 CHRISTIAN《クリスチアン》 ANDERSEN《アンデルセン》(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》變じ、文致の畫一なり難きを憾《うら》み、又筆を擱《お》くことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職を曠《むな》しくして、縱《ほしいまゝ》に述作に耽ると謂ふ。寃《ゑん》も亦甚しきかな。
三、文中|加特力《カトリツク》教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪《かいさん》すること能はず。
四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、毎《つね》に予の著作を讀むことを嗜《たしな》めるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をして太《はなは》だ加はらざらしむることを得たり。
  明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]譯者識す

    第十三版題言

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是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATOREN《イムプロヰザトオレン》 の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須《もち》ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午《うげきばうご》の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。
 大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]譯者又識す

   わが最初の境界

 羅馬《ロオマ》に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニ[#「ピアツツア、バルベリイニ」に二重傍線]を知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトン[#「トリイトン」に傍線]の神の像に造り做《な》したる、美しき噴井《ふんせい》ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエ[#「ヰア、フエリチエ」に二重傍線]の角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋《ひ》の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常《よのつね》ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。首《かうべ》を囘《めぐら》してわが穉《をさな》かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ/\なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて爲《せ》むすべを知らず。又我世の傳奇《ドラマ》の全局を見わたせば、われはいよ/\これを寫す手段に苦《くるし》めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人《よそびと》のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語《をさなものがたり》をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性《さが》のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子《かいし》の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣
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