Aチ」に二重傍線]の少女の群は、髮を編みて、銀《しろがね》の箭《や》にて留め、薄き面紗《ヴエール》の端を、やさしく髻《もとゞり》の上にて結びたり。ヱルレトリ[#「ヱルレトリ」に二重傍線]の少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、圓き乳房の露《あらは》るゝやうに着たる衣に、襟の邊《あたり》より、彩《いろど》りたる巾《きれ》を下げたり。アプルツチイ[#「アプルツチイ」に二重傍線]よりも、大澤《たいたく》よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ來て、おの/\古風を存じたる打扮《いでたち》したれば、その入り亂れたるを見るときは、餘所《よそ》の國にはあるまじき奇觀なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美《はでやか》なる式の衣を着けて歩み來たるは、「カルヂナアレ」なり。さま/″\の宗派に屬する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに隨へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後に跟《つ》いて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩を按《おさ》へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ歩を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の諸聲《もろごゑ》に叫ぶを聞きつ。我等は彼方へおし遣られ、又此方へおし戻されき。こは一二頭の仗馬《ぢやうめ》の物に怯《お》ぢて駈け出したるなり。われは纔《わづか》にこの事を聞きたる時、騷ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ。目の前は黒くなりて、頭の上には瀑布《たき》の水漲り落つる如くなりき。
あはれ、神の母よ、哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を憶ふごとに、身うち震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。側には母上地に横《よこたは》り居給ふ。これを圍みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘《まゝ》にて、仆《たふ》れたる母上の上を過ぎ、轍《わだち》は胸を碎きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。
人々は母上の目を瞑《ねむ》らせ、その掌を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覺えしものを。遺體をば、僧たち寺に舁《か》き入れぬ。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は手に淺痍《あさで》負ひたる我を伴ひて、さきの酒店《さかみせ》に歸りぬ。きのふは此酒店にて、樂しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上の腕《かひな》を枕にして眠りしものを。當時わがいよ/\まことの孤《みなしご》になりしをば、まだ熟《よ》くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子《くわし》、くだもの、玩具《もてあそびもの》など與へて、なだめ賺《すか》し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥《してう》の事、怪しき媼《おうな》の事、母上の夢の事など語り、誰も/\母上の死をば豫め知りたりと誇れり。
暴馬《あれうま》は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡《よはひ》四十の上を一つ二つ踰《こ》えたる貴人の驚怖のあまりに氣を喪《うしな》はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の族《うから》にて、アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]とフラスカアチ[#「フラスカアチ」に二重傍線]との間に、大なる別墅《べつしよ》を搆《かま》へ、そこの苑《その》にはめづらしき草花を植ゑて樂《たのしみ》とせりとなり。世にはこの翁《おきな》もあやしき藥草を知ること、かのフルヰア[#「フルヰア」に傍線]といふ媼に劣らずなど云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる僕《しもべ》盾銀《たてぎん》(スクヂイ)二十枚入りたる嚢《ふくろ》を我に貽《おく》りぬ。
翌日の夕まだ「アヱ、マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞《いとまごひ》せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣《はれぎ》のまゝにて、狹き木棺の裡《うち》に臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々|共音《ともね》に泣きぬ。寺門には柩《ひつぎ》を擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は我を牽《ひ》きて柩の旁《かたへ》に隨へり。斜日《ゆふひ》は蓋《おほ》はざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古《ほご》を捩《ひね》りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の
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