@學校の規則には、詩賦は他人の助を藉《か》ることを允《ゆる》さずと記したり。されどいつも雨雲に蔽《おほ》はれたるハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]が面に、些《ちと》の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵|原《もと》の語は、纔《わづか》にその半を存するのみなり。さて詩の拙《つたな》さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]は必ずおのれが刪潤《さんじゆん》せしを告ぐ。こたび讀むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]が手を經たるが、ひとりベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が詩のみは、遂にその目に觸れざりき。
 兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇《むらが》りぬ。老僧官たちは、赤き法衣の裾を牽《ひ》きて式場に入り、美しき椅子に倚《よ》り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓に頒《わか》たれぬ。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリア[#「シリア」に二重傍線]、カルデア[#「カルデア」に二重傍線]、新|埃及《エヂプト》、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈※[#二の字点、1−2−22]あやしうして、喝采の聲は愈※[#二の字点、1−2−22]盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。
 われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]あるのみにて、其次なる英語は固《もと》より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。
 その時ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は些《いさゝか》の怯《おく》れたる氣色もなく、かのダンテ[#「ダンテ」に傍線]を詠ずる詩を誦《ず》したり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦《どくじゆ》の力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句を遺《のこ》さず諳《そらん》じたり。されど今改めてこれを聽けば、ほと/\ダンテ[#「ダンテ」に傍線]其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し畢《をは》りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]がものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]がダンテ[#「ダンテ」に傍線]の詩の上にかへりぬ。
 我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]がために焚ける香の烟を吸ひて、ほと/\醉へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]も亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、迺《すなは》ちこれを取りて、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が前に進み給ひぬ。我友は此時|跪《ひざまづ》きたるが、もろ手に面を掩《おほ》ひて、この冠を頭に受けたり。
 式畢りて後、われは友の側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は我頸を擁《いだ》き、我手を把《と》りていふやう。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千《もゝち》の棘《いばら》もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は、我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛
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