A岸邊を牽かるゝ軛《くびき》負《お》ひたる牧牛、皆目新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の下なるは丈低く黄なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架《か》に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕《かたうで》、隻脚《かたあし》は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我|栖《すみか》はこゝより遠からずとぞいふなる。
此家は古の墳墓の址《あと》なり。この類《たぐひ》の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を戍《まも》るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき窪《くぼみ》をば填《う》め、いらぬ罅《すきま》をば塞ぎ、上に草を葺《ふ》けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて兩層あり。隘《せば》き戸口なるコリントス[#「コリントス」に二重傍線]がたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は砦《とりで》にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の半は葦簾《よしすだれ》に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬《にんどう》(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。
こゝが家ぞ、と途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ[#「ベネデツトオ」に傍線]告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。翁《おきな》にドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]と呼ばれて、荒※[#「栲」のおいがしらの下が「丁」、第4水準2−14−59]《あらたへ》の汗衫《はだぎ》ひとつ着たる媼《おうな》出《い》でぬ。手足をばことごとく露《あらは》して髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌《ぜうぜつ》なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル[#「イスマエル」に傍線](亞伯拉罕《アブラハム》の子)なるぞ。されどわが饗應《もてなし》には足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥床《ふしど》はすでにこしらへ置きぬ。豆も烹《に》えたるべし。ベネデツトオ[#「ベネデツトオ」に傍線
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