Aヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の立てるなり。縱《たと》ひ友を失はんも、彼君のためには惜からじと一たびは思ひぬ。されどつら/\思ひ返せば、友は我に先だちて姫と交を結びぬ。わが姫と相識ることを得しは、全く友の紹介の賜《たまもの》なり。われは友に對して、我が姫に運ぶ情の戀にあらず、藝術上の感歎なるを誓ひたり。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]はわが無二の友なり。われは今これを欺かんとす。悔恨の棘は我心を刺せり。されどわれは遂にアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を忘るゝこと能はず。
 アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を懷ふはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の我に與へたる歡喜を懷ふなり。されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念を喚《よ》び起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人《なきひと》の肖像の笑へるが如し。その笑はたま/\以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ人の世途の難を説くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀に克《か》つにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりと雖《いへども》、われ往《ゆ》いてこれに從はゞ、その形迹世の蕩子《たうし》と擇《えら》ぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之《しかのみなら》ず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりは復《また》我を憐み給はざるべし。況《いはん》や此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭《ぬかづ》き、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭を擧げしに、何ぞ料《はか》らむ聖母の面《おもて》は姫の面となりて我を悦ばせ又我を苦めむとは。我は縱《たと》ひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。
 我は嘗て古《いにしへ》の信徒の自ら笞《むちう》ち自ら傷《きずつ》けしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所に倣《なら》はんと欲するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の
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