/\なる提灯《ちやうちん》、燈籠ありて、おの/\功を爭へり。さて人々皆おのが火を護りて、人のを消さむとす。火持たぬ人は死ね(リア、アムマツアトオ、キイ、ノン、ポルタア、モツコオリ)と叫ぶ聲は、次第に喧しくなりまされり。我が持てる燭も、人に觸れさせじとする骨折は其甲斐なくて、打ち滅《け》さるゝこと頻《しきり》なりければ、われ餘りのもどかしさに、智慧ある人は我に倣《なら》へよと叫びつゝ、柄ながらに投げ棄てつ。道の傍なる婦人數人は、その燭を家々の窖《あなぐら》の窓にさし込みて、これをば誰もえ消さじと心安んじ、我を指ざして燭なき人の笑止さよと嘲るほどに、家の童どもいつか窖に降り行きて、その燭を吹き滅したり。又高き窓なる人々は竿に着けたる堤燈《ひさげとう》さし出して誇貌《ほこりがほ》なるを、屋根に這ひ出でたる男ども竿の尖に紛※[#「巾+兌」、56−下段−1]《てふき》結びたるを揮ひて、これをさへ拂ひ消すめり。
異國人《ことくにびと》にて此祭見しことなきものは、かゝる折の雜※[#「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2−89−93]《ざつたふ》を想ひ遣ること能はざるべし。立錐《りつすゐ》の地なき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなり勝《まさ》りぬ。忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を囘しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣《ねまき》纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は猶四五尺許なる籘《とう》の竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高く翳《かざ》せり。彼の紛※[#「巾+兌」、56−下段−12]《てふき》結びたる竿の長《たけ》足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は又娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なく「コンフエツチイ」の霰《あられ》を迸《ほとばし》らせたり。われはこれをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘はあなやと叫び、男は石膏の丸《たま》を放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿を撓《たわ》ませんとせしに、竿は半ばよりほきと折れて、燭の束《たば》ははたと落つ。群衆は喝采せり。娘はアントニオ[#「アントニオ」に傍線]、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有ら
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