驕B然《さ》れどもこのたびは釋《ゆる》すべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ[#「カルタゴ」に二重傍線]女王の名にて又|樂劇《オペラ》の名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃《しかのみなら》ず主人公に扮するは、嘗てナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]に在りしとき、闔府《かふふ》の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女《うため》なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、絶《はなは》だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ば信《まこと》ならんには、汝が「ソネツトオ」の工《たくみ》を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫《すみれ》の花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心に協《かな》はゞ、我はこれを贄《にへ》にせんといふ。我は共に往かんことを諾《うべな》ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂《たのしみ》をば、つゆ遺《のこ》さずして嘗《こゝろ》みんと誓ひたればなり。
今は我がために永く※[#「言+爰」、第4水準2−88−66]《わす》るべからざる夕となりぬ。我|羅馬日記《ヂアリオ、ロマノ》を披《ひら》けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]如《も》し日記を作らば、また我筆に倣《なら》はざることを得ざるならん。そも/\「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵《プラフオン》、オリユムポス[#「オリユムポス」に二重傍線]の圖を寫したる幕、黄金を鏤《ちりば》めたる觀棚《さじき》など、當時は猶新なりき。棚《さじき》ごとに壁に鉤《かぎ》して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]必ずその月旦を怠ることなし。
開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲の敍《じよ》と看做《みな》さるべきものなり。狂※[#「風にょう+(犬/(犬+犬))、第4水準2−92−41]《きやうへう》波を鞭《むちう》ちてエネエアス[#「エネエアス」に傍線]はリユビア[#「リユビア」に二重傍線]の瀲《なぎさ》に漂へり。風波に駭《おどろ》きし叫號
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