オき貨物《しろもの》を盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆《ゑんどう》[#「豌豆」は底本では「※[#「足+宛」、第3水準1−92−36]豆」]の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜《まじ》りたり。中には穀物の粒を石膏泥中に轉《まろが》して作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸を擲《なげう》ちて戲るゝを習とす。)コルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の街を灑掃《さいさう》する役夫《えきふ》は夙《つと》に業を始めつ。家々の窓よりは彩氈《さいせん》を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度|日景《ひかげ》を瞻《み》て、※[#「金+表」、44−下段−7]《とけい》を進退すること四分一時。所謂佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。)出窓《バルコオネ》には貴き外國人《とつくにびと》多く並みゐたり。議官《セナトオレ》は紫衣を纏ひて天鵞絨《びろうど》の椅子に坐せり。法皇の禁軍《このゑ》なる瑞西《スイス》兵整列したる左翼の方には、天鵞絨の帽《ベルレツタ》を戴ける可愛らしき舍人《とねり》ども群居たり。少焉《しばし》ありて猶太《ユダヤ》宗徒の宿老《おとな》の一行進み來て、頭を露《あらは》して議官の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホ[#「ハノホ」に傍線]にぞありける。式の辭をばハノホ[#「ハノホ」に傍線]陳べたり。我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓に栖《す》まんことをば、今一とせ許させ給へ。歳に一たびは加特力《カトリコオ》の御寺《みてら》に詣でゝ、尊き説法を承り候はん。又昔の例《ためし》に沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]を奔《はし》らんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟の代《しろ》、皆|法《かた》の如く辨《わきま》へ候はんといふ。議官《セナトオレ》は頷きぬ。(古例に依れば、この時議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今は廢《すた》れたり。)事果つれば、議官の一列樂聲と倶《とも》に階を下り、舍人《とねり》等を隨へて、美しき車に乘り遷《うつ》れり。是を祭の始とす。「カピトリウ
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