nなつかしく、我詞の猶|穩《おだやか》ならざるところありしを悔みぬ。一日散歩のついで、吾友の上をおもひつゝ、かの猶太廓《ゲツトオ》に入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ、我友の怒を霽《はら》す便《たより》にもならんとおもひき。されど我は彼翁をだに見ざりき。門《かど》よりも窓よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなど陳《の》べたるその間には見苦き子供遊べり。物買はずや、物賣らずやと呼ぶ聲は、我を聾《みゝしひ》にせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窓より窓へ毬《まり》投げつゝ戲れ居たり。そが一人は頗《すこぶる》美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脱したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護《うしろめた》くて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脱したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。
一とせの月日は事なくして過ぎぬ。稀にベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に逢ふことありても、交情昔のごとくならず。我はそのやさしき假面の背後に、人に※[#「りっしんべん+敖」、第4水準2−12−67]《おご》る貴人の色あるを見て、友の無情なるを恨むのみにて、かの猶太廓の戀のなりゆきを問ふに遑《いとま》あらざりき。ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]、フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の人々のやさしさに、故郷にある如き思をなしつ。されどそれさへ時としては胸を痛むる媒《なかだち》となることありき。我胸には慈愛に感ずる情みち/\たれば、彼人々の一たび顰《ひそ》めることあるときは、徑《たゞち》に我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の我性を譽めつゝも、強ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣《ことばづかひ》の疵《きず》を指すことの苛酷なる、主人の君のわが獨り物思ふことの人に踰《こ》えたるを戒《いまし》めて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終には萎《しを》るゝ葉に比べたる、皆我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるを斯《か》ばかりの事に逢ひて、必ず涙を墮《おと》すは何故ぞや。主人の君は我が憂はしげなるさまを見ると
前へ
次へ
全337ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング