サの詩に史上の事實を矯《た》め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆|笞《むちう》ち懲《こら》すべき科《とが》なるを。我はまことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]のこわつぱ奴《め》。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]が批評は大抵此の如くなりき。
 學校の中、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは遽《にはか》に寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なき悶《もだえ》を覺えき。さて如何《いかに》してこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。我生活我願望はこれを樂の裡《うち》に求むるとき、始めて殘るところなく明《あきらか》なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテ[#「ダンテ」に傍線]が雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は我《わが》魂《こん》を動せども、樂はわが魂と共に、わが耳によりてわが魄《はく》を動《うごか》せり。夕されば我窓の外に、一群の小兒來て、聖母の像を拜みて歌へり。その調は我にわが穉《をさな》かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし搖籃の曲に似たり、又或時は野邊送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聽き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に遷《うつ》りゆきぬ。我胸は押し狹《せば》めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空より來りて我耳を襲へり。その曲は知らず識らず我唇より洩れて歌聲となりぬ。
 ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]が室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌學校にもあらず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答へず。頭を窓の縁に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。
 忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(幸《さち》あらん夜をこそ祈れ、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さ
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