艪ェために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の主人の君は、「ジエスヰタ」派の學校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野と牧者の媼《おうな》とに別れて、我行末のために修行の門出せんとす。ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]は歸路に我にいふやう。我目の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]などの知らぬ、滑《なめらか》なる床、華やかなる氈《かも》をや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき兒なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶|果敢《はか》なき燒栗もて、おん身が心を樂ましむることを得るなり。おん身が籘を焚く火を煽《あふ》ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が目の中に神の使の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる樂をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野には薊《あざみ》生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、滑《なめらか》なる床には、一|本《もと》の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、蹉《つまづ》き易しと聞く。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ。一たび貧き兒となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいづべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乘りて、昔の破屋をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身に搖《ゆ》られし籃《かご》の中なる兒は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかづくならん。おん身は人に驕《おご》るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側に坐して栗を燒き、又籃を搖りたることを思ひ給ふならん。言ひ畢りて、媼は我に接吻し、面を掩ひて泣きぬ。我心は鍼《はり》もて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既に閾《しきゐ》を出でしとき、媼走り入りて、薫《くゆり》に半ば黒みたる聖母の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡※[#二の字点、1−2−22]接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあ
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