tランチエスカ」に傍線]の君は教へ給はざりき。君の宣ふやう。そは文にあれば、讀みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど讀みおぼゆる初は、あまり樂しきものにはあらず。汝《そち》は終日|榻《たふ》に坐して、文を手より藉《お》かじと心掛くべし。カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野にありて、山羊と戲れ、友達を訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]の君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる※[#「(矛+攵)/金」、第3水準1−93−30]《かぶと》を戴き、長き劍を佩《は》きて、法皇のみ車の傍を騎《の》りゆかんとやおもふ。さらずば美しき畫といふ畫を、殘なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に面白き物語のあらん限を記《おぼ》えんとや思ふ。我。されど左樣なる人になりては、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]が許には居られぬにや。また御館へは來られぬにや。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]。汝は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家《すみか》をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]が事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]と我と、そちに親きものになりぬ。この交《まじはり》もいつか更《かは》ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢《はか》なくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の樂しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが發落《なりゆき》を心にかくるなれ。我涙は愈※[#二の字点、1−2−22]繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯く諭《さと》されたる時、限なき幸なさを覺えき。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]は我頬を撫でゝ、我が餘りに心弱きを諫《いさ》め、かくては世に立たんをり、いと便《びん》なかるべしと氣づかひ給ひぬ。この時主人の君は、曾て我頭の上に月桂冠を戴せたるフアビ
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