る前程寒かないことね。」
「宵のうち寒かったのは、雪が降り出す前だったからだよ。降っている間は寒かないのさ。」
「そうかしら。どれ憚《はばか》りに行って来よう。お金さん附き合わなくって。」
「寒くないと云ったって、矢っ張寝ている方が勝手だわ。」
「友達|甲斐《がい》のない人ね。そんなら為方《しかた》がないから一人で行くわ。」
お松は夜着の中から滑り出て、鬆《ゆる》んだ細帯を締め直しながら、梯子段《はしごだん》の方へ歩き出した。二階の上がり口は長方形の間の、お松やお金の寝ている方角と反対の方角に附いているので、二列に頭を衝き合せて寝ている大勢の間を、お松は通って行かなくてはならない。
お松が電灯の下がっている下の処まで歩いて行ったとき、風がごうと鳴って、だだだあと云う音がした。雪のなだれ落ちた音である。多分庭の真ん中の立石《たていし》の傍《そば》にある大きい松の木の雪が落ちたのだろう。お松は覚えず一寸《ちょっと》立ち留まった。
この時突然お松の立っている処と、上がり口との中途あたりで、「お松さん、待って頂戴、一しょに行くから」と叫ぶように云った女中がある。
そう云う声と共に、むっ
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