ていた。まだ七十近い先代の主人が生きていて、隠居|為事《しごと》にと云うわけでもあるまいが、毎朝五時が打つと二階へ上がって来て、寝ている女中の布団を片端《かたっぱし》からまくって歩いた。朝起は勤勉の第一要件である。お爺いさんのする事は至って殊勝なようであるが、女中達は一向敬服していなかった。そればかりではない。女中達はお爺いさんを、蔭で助兵衛爺《すけべえじい》さんと呼んでいた。これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名《あだな》である。そしてそれが全くの寃罪《えんざい》でもなかったらしい。
 暮に押し詰まって、毎晩のように忘年会の大一座があって、女中達は目の廻るように忙《せわ》しい頃の事であった。或る晩例の目刺の一|疋《ぴき》になって寝ているお金が、夜なかにふいと目を醒《さ》ました。外の女ならこんな時|手水《ちょうず》にでも起きるのだが、お金は小用の遠い性《たち》で、寒い晩でも十二時過ぎに手水に行って寝ると、夜の明けるまで行かずに済ますのである。お金はぼんやりして、広間の真中に吊るしてある電灯を見ていた。女中達は皆好く寐《ね》ている様子で、所々で歯ぎしりの音
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