オている。極めて真面目で、極めて窮屈らしい態度である。純一は、なぜゆうべのような馬鹿げた騒ぎをするのだと云って見たい位であった。
便所からの帰りに、ふと湯に入《い》ろうかと思って、共同浴室を覗《のぞ》いて見ると、誰《たれ》か一人這入っている。蒸気が立ち籠めて、好くは見えないが、湯壺の側に蹲《つくば》っている人の姿が女らしかった。そしてその姿が、人のけはいに驚かされて、急いで上がろうとするらしく思われた。純一は罪を犯したような気がして、そっとその場を逃げて自分の部屋に帰った。
部屋には帰って見たが、早立ちの客の外は、まだ寐静まっている時なので、火鉢に火も入れてない。純一は又床に這入って、強いて寐ようとも思わずに、横になっていた。
目がはっきり冴《さ》えて、もう寐られそうにもない。そしてゆうべ床に這入ってから考えた事が、糸で手繰り寄せられるように、次第に細かに心に浮んで来る。
夜疲れた後《のち》に考えた事は、翌朝になって見れば、役に立たないと云う経験は、純一もこれまでしているのだが、ゆうべの決心は今頭が直ってから繰り返して見ても、やはり価値を減ぜないようである。啻《ただ》に価値を減ぜないばかりでは無い。明かな目で見れば見る程、大胆で、heroique[#一つ目の「e」は「´」付き]《エロイック》な処が現れて来るかとさえ思われる。今から溯《さかのぼ》って考えて見れば、ゆうべは頭が鈍くなっていたので、左顧右眄《さこゆうへん》することが少く、種々な思慮に掣肘《せいちゅう》せられずに、却って早くあんな決心に到着したかとも推《すい》せられるのである。
純一はきょうきっと実行しようと自ら誓った。そして心の中にも体の中にも、これに邪魔をしそうな或る物が動き出さないのを見て、最終の勝利を羸《か》ち得たように思った。しかしこれは一の感情が力強く浮き出せば、他の感情が暫く影を歛《おさ》めるのであった。後《のち》になってから、純一は幾度か似寄った誘惑に遭って、似寄った奮闘を繰り返して、生物学上の出来事が潮の差引のように往来するものだと云うことを、次第に切実に覚知して、太田|錦城《きんじょう》と云う漢学の先生が、「天の風雨の如し」と原始的な譬喩《ひゆ》を下したのを面白く思った。
さてきょう実行すると極めて、心が落ち着くと共に、潜っている温泉宿の布団の中へ、追憶やら感想やら希望やら過現未《かげんみ》三つの世界から、いろいろな客が音信《おとず》れて来る。国を立って東京へ出てから、まだ二箇月余りを閲《けみ》したばかりではある。しかし東京に出たら、こうしようと、国で思っていた事は、悉《ことごと》く泡沫《ほうまつ》の如くに消えて、積極的にはなんのし出来《でか》したわざも無い。自分だけの力で為し得ない事を、人にたよってしようと云うのは、おおかた空頼《そらだの》めになるものと見える。これに反して思い掛けなく接触した人から、種々な刺戟を受けて、蜜蜂《みつばち》がどの花からも、変った露を吸うように、内に何物かを蓄えた。その花から花へと飛び渡っている間、国にいた時とは違って、己は製作上の拙《つたな》い試みをせずにいた。これが却て己の為めには薬になっていはすまいか。今何か書いて見たら、書けるようになっているかも知れない。国にいた時、碁を打つ友達がいた。或る会の席でその男が、打たずにいる間に棋《ご》が上がると云う経験談をすると、教員の山村さんが、それは意識の閾《しきい》の下で、棋の稽古をしていたのだと云った事がある。今書いたら書けるかも知れない。そう思うとこの家《うち》で、どこかの静かな部屋を借りて、久し振に少し書き始めて見たいものだ。いや。そうだっけ。それでは切角のあの実行が出来ない。ええ糞《くそ》。坂井の奥さんだの岡村だのと云う奴が厄介だな。大村の言草ではないが、Der Teufel hole sie!《デル トイフェル ホオレ ジイ》だ。好《い》いわ。早く東京へ帰って書こう。
純一は夜着をはね退《の》けて、起きて敷布団の上に胡坐《あぐら》を掻《か》いて、火鉢に火のないのをも忘れて、考えている。いよいよ書こうと思い立つと共に、現在の自分の周囲も、過去に自分の閲して来た事も、総て価値を失ってしまって、咫尺《しせき》の間《あいだ》の福住の離れに、美しい肉の塊が横《よこた》わっているのがなんだと云うような気がするのである。紅《くれない》が両の頬に潮《ちょう》して、大きい目が耀《かがや》いている。純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことは度々あったが、今のような、夕立の前の雲が電気に飽きているような、気分の充実を感じたことはない。
純一が書こうと思っている物は、現今の流行とは少し方角を異にしている。なぜと云うに、そのsujet《シュジェエ》は国の亡くなったお祖母《ば》あさんが話して聞せた伝説であるからである。この伝説を書こうと云うことは、これまでにも度々企てた。形式も種々に考えて、韻文にしようとしたり、散文にしようとしたり、叙事的にFlaubert《フロオベル》の三つの物語の中の或る物のような体裁を学ぼうと思ったこともあり、Maeterlinck《マアテルリンク》の短い脚本を藍本《らんほん》にしようと思ったこともある。東京へ出る少し前にした、最後の試みは二三十枚書き掛けたままで、谷中にある革包《かばん》の底に這入っている。あれはその頃知らず識《し》らずの間に、所謂《いわゆる》自然派小説の影響を受けている最中であったので、初めに狙って書き出したArchaisme[#「i」は「¨」付き]《アルシャイスム》が、意味の上からも、詞《ことば》の上からも途中で邪魔になって来たのであった。こん度は現代語で、現代人の微細な観察を書いて、そして古い伝説の味《あじわい》を傷《きずつ》けないようにして見せようと、純一は工夫しているのである。
こんな事を思って、暫く前から勝手の方でがたがた物音のしているのを、気にも留めずにいると、天井の真中に手繰り上げてある電燈が突然消えた。それと同時に、もう外は明るくなっていると見えて、欄間《らんま》から青白い光が幾筋かの細かい線になってさし込んでいる。
女中が十能《じゅうのう》を持って這入って来て、「おや」と云った。どうしたわけか、綺麗《きれい》な分の女中が来たのである。「つい存じませんのでございますから」と云いながら、火鉢に火を活《い》けている。
ろくろく寝る隙《ひま》もなかったと思われるのに、女は綺麗に髪を撫《な》で附けて、化粧をしている。火を活けるのがだいぶ手間が取れる。それに無口な性《たち》ででもあるか、黙っている。
純一は義務として何か言わなくてはならないような気がした。
「ねむたかないか」と云って見た。
「いいえ」と女の答えた頃には、純一はまずい、sentimental《サンチマンタル》な事を言ったように感じて、後悔している。「おやかましかったでしょう」と、女が反問した。
「なに。好く寐られた」と、純一は努めて無造做《むぞうさ》に云った。
障子の外では、がらがらと雨戸を繰り明ける音がし出した。女は丁度火を活けてしまって、火鉢の縁《ふち》を拭いていたが、その手を停めて云った。
「あのお雑煮を上がりますでしょうね」
「ああ、そうか。元日だったな。そんなら顔でも洗って来よう」
純一は楊枝《ようじ》を使って顔を洗う間、綺麗な女中の事を思っていた。あの女はどこか柔かみのある、気に入った女だ。立つ時、特別に心附けを遣ろうかしら。いや、廃《よ》そう。そうしては、なんだか意味があるようで可笑《おか》しい。こんな事を思ったのである。
部屋に返るとき、入口《いりくち》で逢ったのは並の女中であった。夜具を片附けてくれたのであろう。
雑煮のお給仕も並のであった。その女中に九時八分の急行に間に合うように、国府津へ行《い》くのだと云って勘定を言い附けると、仰山らしく驚いて、「あら、それでは御養生にもなんにもなりませんわ」と云った。
「でも己より早く帰った人もあるじゃないか」
「それは違いますわ」
「どう違う」
「あれは騒ぎにいらっしゃる方ですもの」
「なる程。騒ぐことは己には出来ないなあ」
雑煮の代りを取りに立つとき、女中は本当に立つのかと念を押した。そして純一が頷《うなず》くのを見て、独言《ひとりごと》のようにつぶやいた。
「お絹さんがきっとびっくりするわ」
「おい」と純一は呼び留めた。「お絹さんというのは誰《だれ》だい」
「そら、けさこちらへお火を入れにまいったでしょう。きのうあなたがお着きになると、あれが直ぐにそう云いましたわ。あの方は本を沢山持っていらっしゃったから、きっとお休みの間勉強をしにいらっしゃったのだって」
こう云って置いて、女中は通い盆を持って廊下へ出た。
純一はお絹と云う名が、自分の想像したあの女の性質に相応しているように思って、一種の満足を覚えた。そしてそのお絹が忙《いそが》しい中で自分を観察してくれたのを感謝すると同時に、自分があの女の生活を余り卑しく考えたのを悔いた。
雑煮の代りが来た。給仕の女中から、お絹の事を今少し精《くわ》しく聞き出すことは、むずかしくもなさそうであったが、純一は遠慮して問わなかった。意味があって問うように思われるのがつらかったのである。
純一は取り散らしたものを革包の中に入れながら、昨夜《ゆうべ》よりも今朝起きた時よりも、だいぶ冷かになった心で、自己を反省し出した。東京へ帰ろうと云う決心を飜《ひるがえ》そうとは思わない。又それを飜す必要をも見出さない。帰って書いて見ようと思う意志も衰えない。しかしその意志の純粋な中へ、極《ごく》軽い疑惑が抜足《ぬきあし》をして来て交《まじ》る。それはこれまで度々一時の発動に促されて書き出して見ては、挫折《ざせつ》してしまったではないかと云う※[#「※」は「口+耳」、第3水準1−14−94、213−16]《ささや》きである。幸な事には、この※[#「※」は「口+耳」、第3水準1−14−94、読みは「ささや」、213−17]きは意志を麻痺《まひ》させようとするだけの力のあるものではない。却て製作の欲望を刺戟して、抗抵を増させるかと思われる位である。
これに反して、少しの間に余程変じたのは、坂井夫人に対する感じである。面当てをしよう、思い知らせようと云うような心持が、ゆうべから始終幾分かこの感じに交っていたが、今明るい昼の光の中で考えて見ると、それは慥《たし》かに錯《あやま》っている。我ながらなんと云うけちな事を考えたものだろう。まるで奴隷のような料簡《りょうけん》だ。この様子では己はまだ大いに性格上の修養をしなくてはならない。それにあの坂井の奥さんがなんで己が立ったと云って、悔恨や苦痛を感ずるものか。八年前に死んだ詩人Albert Samain《アルベエル サメン》はXanthis《クサンチス》と云う女人形の恋を書いていた。恋人の中にはplatonique《プラトニック》な公爵がいる。芸術家風の熱情のある青年音楽家がいる。それでもあの女人形を満足させるには、力士めいた銅人形がいなくてはならなかった。岡村は恐らくは坂井の奥さんの銅人形であろう。己はなんだ。青年音楽家程の熱情をも、あの奥さんに捧《ささ》げてはいない。なんの取柄があるのだ。己が箱根を去ったからと云って、あの奥さんは小使を入れた蝦蟇口《がまぐち》を落した程にも思ってはいまい。そこでその奥さんに対して、己は不平がる権利がありそうにはない。一体己の不平はなんだ。あの奥さんを失う悲《かなしみ》から出た不平ではない。自己を愛する心が傷つけられた不平に過ぎない。大村が恩もなく怨《うらみ》もなく別れた女の話をしたっけ。場合は違うが、己も今恩もなく怨もなく別れれば好《い》いのだ。ああ、しかしなんと思って見ても寂しいことは寂しい。どうも自分の身の周囲に空虚が出来て来るような気がしてならない。好いわ。この寂しさの中から作品が生れないにも限らない。
帳場の男が勘定を持って来た。瀬戸の話に、湯治場や
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