人主義が家族主義になり、家族主義が国家主義になっている。そこで始て君父の為めに身を棄てるということも出来ると云うのですね。こう云う説では、個人主義と利己主義と同一視してあるのだから、あなたの云う個人主義とは全く別ですね。それに個人主義から家族主義、それから国家主義と発展して来たもので、その発展が西洋に無くって、日本にあると云うのは可笑《おか》しいじゃありませんか」
「そりゃあ君、無論可笑しいさ。そんな人は個人主義を利己主義や自己中心主義と一しょにしているばかりではなくって、無政府主義とも一しょにしているのだね。一体太古の人間が一人一人穴居から這い出して来て、化学の原子のように離れ離れに生活していただろうと思うのは、まるで歴史を撥無《はつむ》した話だ。若しそうなら、人生の始は無政府的だが、そんな生活はいつの世にもありやしなかった。無政府的生活なんと云うものは、今の無政府主義者の空想にしか無い。人間が最初そんな風に離れ離れに生活していて、それから人工的に社会を作った、国家を作ったと云う思想は、ルソオのContrat social《コントラ ソシアル》あたりの思想で、今になってまだそんな事を信じているものは、先ず無いね。遠い昔に溯《さかのぼ》って見れば見る程、人間は共同生活の束縛を受けていたのだ。それが次第にその羈絆《きはん》を脱して、自由を得て、個人主義になって来たのだ。お互に文学を遣っているのだが、文学の沿革を見たって知れるじゃないか。運命劇や境遇劇が性格劇になったと云うのは、劇が発展して個人主義になったのだ。今になって個人主義を退治ようとするのは、目を醒まして起きようとする子供を、無理に布団の中へ押し込んで押さえていようとするものだ。そんな事が出来るものかね」
 これまでになく打ち明けて、盛んな議論をしているが、話の調子には激昂《げきこう》の迹《あと》は見えない。大村はやはりいつもの落ち着いた語気で話している。それを純一は唯「そうですね」「全くですね」と云って、聞いているばかりである。
「一体妙な話さ」と、大村が語り続けた。「ロシアと戦争をしてからは、西洋の学者が一般に、日本人の命を惜まないことを知って、一種の説明をしている。日本なんぞでは、家族とか国家とか云う思想は発展していないから、そういう思想の為めに犠牲になるのではない。日本人は異人種の鈍い憎悪の為めに、生命《せいめい》の貴さを覚《さと》らない処から、廉価な戦死をするのだと云っている。誰《たれ》の書物をでも見るが好《い》い。殆ど皆そんな風に観察している。こっちでは又西洋人が太古のままの個人主義でいて、家族も国家も知らない為めに、片っ端から無政府主義になるように云っている。こんな風にお互にmeconnaissance[#一つ目の「e」は「´」付き]《メコンネッサンス》の交換をしているうちに、ドイツとアメリカは交換大学教授の制度を次第に拡張《こうちょう》する。白耳義《ベルギイ》には国際大学が程なく立つ。妙な話じゃないか」と云って、大村は黙ってしまった。
 純一も黙って考え込んだ。しかしそれと同時に尊敬している大村との隔てが、遽《にわ》かに無くなったような気がしたので、純一は嬉しさに覚えず微笑《ほほえ》んだ。
「何を笑うんだい」と、大村が云った。
「きょうは話がはずんで、愉快ですね」
「そうさ。一々の詞を秤《はかり》の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね」
「なぜ人間は年を取るに従って偽善に陥ってしまうでしょう」
「そうさね。偽善というのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違いないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」
 純一は暫く考えて云った。「それでもどうにかして幾分かその甲らの硬くなるのを防ぐことは出来ないでしょうか」
「甲らばかりでは無い。全身の弾力を保存しようという問題になるね。巴里《パリイ》のInstitut Pasteur《アンスチチュウ パストヨオル》にMetschnikoff《メチュニコッフ》というロシア人がいる。その男は人間の体が年を取るに従って段々石灰化してしまうのを防ぐ工夫をしているのだがね。不老不死の問題が今の世に再現するには、まあ、あんな形式で再現する外ないだろうね」
「そうですか。そんな人がありますかね。僕は死ぬまいなんぞとは思わないのですが、どうか石灰化せずにいたいものですね」
「君、メチュニコッフ自身もそう云っているのだよ。死なないわけには行《い》かない。死ぬるまで弾力を保存したいと云うのだね」
 二人共余り遠い先の事を考えたような気がしたので、言い合せたように同時に微笑んだ。二人はまだ老《おい》だの死だのということを、際限も無く遠いもののように思っている。人一人の生涯というものを測る尺度を、まだ具体的に手に取って見たことが無いのである。
 忽ち襖《ふすま》の外でことこと音をさせるのが聞えた。植長の婆あさんが気を利かせて、二人の午飯《ひるめし》を用意して、持ち運んでいたのである。

     二十一

 食事をしまって茶を飲みながら、隔ての無い青年同士が、友情の楽しさを緘黙《かんもく》の中《うち》に味わっていた。何か言わなくてはならないと思って、言いたくない事を言う位は、所謂附合いの人の心を縛る縄としては、最も緩いものである。その縄にも縛られずに平気で黙りたい間黙っていることは、或る年齢を過ぎては容易に出来なくなる。大村と純一とはまだそれが出来た。
 純一が炭斗《すみとり》を引き寄せて炭をついでいる間に、大村は便所に立った。その跡で純一の目は、急に青い鳥の脚本の上に注がれた。Charpentier et Fasquelle《シャルパンチエエ エエ ファスケル》版の仮綴《かりとじ》の青表紙である。忙《せ》わしい手は、紙切小刀で切った、ざら附いた、出入りのあるペエジを翻した。そして捜し出された小さい名刺は、引き裂かれるところであったが、堅靭《けんじん》なる紙が抗抵したので、揉《も》みくちゃにせられて袂《たもと》に入れられた。
 純一は証拠を湮滅《いんめつ》[#底本はルビを「えんめつ」と誤植]させた犯罪者の感じる満足のような満足を感じた。
 便所から出て来た大村は、「もうそろそろお暇《いとま》をしようか」と云って、中腰になって火鉢に手を翳《かざ》した。
「旅行の準備でもあるのですか」
「何があるものか」
「そんなら、まあ、好《い》いじゃありませんか」
「君も寂しがる性《たち》だね」と云って、大村は胡座《あぐら》を掻いて、又紙巻を吸い附けた。「寂しがらない奴は、神経の鈍い奴か、そうでなければ、神経をぼかして世を渡っている奴だ。酒。骨牌《かるた》。女。Haschisch《ハッシッシュ》」
 二人は顔を見合せて笑った。
 それから官能的受用で精神をぼかしているなんということは、精神的自殺だが、神経の異様に興奮したり、異様に抑圧せられたりして、体をどうしたら好《い》いか分らないようなこともある。そう云う時はどうしたら好いだろうと、純一が問うた。大村の説では、一番健全なのはスエエデン式の体操か何かだろうが、演習の仮設敵のように、向うに的を立てなくては、倦《う》み易い。的を立てるとなると、sport《スポルト》になる。sport《スポルト》になると、直接にもせよ間接にもせよ競争が生ずる。勝負が生ずる。畢竟《ひっきょう》倦まないと云うのは、勝とう勝とうと思う励みのあることを言うのであろう。ところが個人毎に幾らかずつの相違はあるとしても、芸術家には先ずこの争う心が少い。自分の遣《や》っている芸術の上でからが、縦《たと》え形式の所謂競争には加わっていても、製作をする時はそれを忘れている位である。Paul Heyse《パウル ハイゼ》の短編小説に、競争仲間の彫像を夜忍び込んで打ち壊すことが書いてあるが、あれは性格の上の憎悪を土台にして、その上に恋の遺恨をさえ含ませてある。要するに芸術家らしい芸術家は、恐らくはsport《スポルト》に熱中することがむずかしかろうと云うのである。
 純一は思い当る所があるらしく、こう云った。「僕は芸術家がる訳ではないのですが、どうも勝負事には熱心になられませんね」
「もう今に歌がるたの季節になるが、それでは駄目だね」
「全く駄目です。僕はいつも甘んじて読み役に廻されるのです」と、純一は笑いながら云った。
「そうさね。同じ詞で始まる歌が、百首のうちに幾つあるということを諳《そら》んじてしまって、初五文字《しょごもじ》を読んでしまわないうちに、どれでも好《い》いように、二三枚のかるたを押えてしまうことが出来なくては、上手下手の評に上《のぼ》ることが出来ない。もうあんな風になってしまえば、歌のせんは無い。子供のするいろはがるたも同じ事だ。もっと極端に云えばA《ア》の札B《ベ》の札というようなものを二三枚ずつ蒔《ま》いて置いて、A《ア》と読んだ時、蒔いてあるA《ア》の札を残らず撈《さら》ってしまえば好いわけになる。若し歌がるたに価値があるとすれば、それは百首の歌を諳んじただけで、同じ詞で始まる歌が幾つあるかなんと云う、器械的な穿鑿《せんさく》をしない間の楽みに限られているだろう。僕なんぞもそんな事で記憶に負担をさせるよりは、何かもっと気の利いた事を覚えたいね」
「一体あんな事を遣ると、なんにも分からない、音《おん》の清濁も知らず、詞の意味も知らないで読んだり取ったりしている、本当のroutiniers《ルチニエエ》に愚弄《ぐろう》せられるのが厭《いや》です」
「それでは君にはまだ幾分の争気がある」
「若いのでしょう」
「どうだかねえ」
 二人は又顔を見合わせて笑った。
 純一の笑う顔を見る度に、なんと云う可哀い目附きをする男だろうと、大村は思う。それと同時に、この時ふと同性の愛ということが頭に浮んだ。人の心には底の知れない暗黒の堺《さかい》がある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいとこの青年に逢ってから、余所《よそ》の交《まじわり》を疎んじて、ここへばかり来る。不断講釈めいた談話を尤《もっと》も嫌って、そう云う談話の聞き手を求めることは屑《いさぎよし》としない自分が、この青年の為めには饒舌《じょうぜつ》して忌むことを知らない。自分はhomosexuel《オモセクシュエル》ではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽《ほうが》が潜んでいるのではあるまいかということが、一寸《ちょっと》頭に浮んだ。
 暫《しばら》くして大村は突然立ち上がった。「ああ。もう行《い》こう。君はこれから何をするのだ」
「なんにも当てがないのです。とにかくそこいらまで送って行《い》きましょう」
 午後二時にはまだなっていなかった。大学の制服を着ている大村と一しょに、純一は初音町の下宿を出て、団子坂の通へ曲った。
 門《かど》ごとに立てた竹に松の枝を結び添えて、横に一筋の注連縄《しめなわ》が引いてある。酒屋や青物屋の賑《にぎ》やかな店に交って、商売柄でか、綺麗《きれい》に障子を張った表具屋の、ひっそりした家もある。どれを見ても、年の改まる用意に、幾らかの潤飾を加えて、店に立ち働いている人さえ、常に無い活気を帯びている。
 この町の北側に、間口の狭い古道具屋が一軒ある。谷中は寺の多い処だからでもあろうか、朱漆《しゅうるし》の所々に残っている木魚《もくぎょ》や、胡粉《ごふん》の剥《は》げた木像が、古金《ふるかね》と数《かず》の揃《そろ》わない茶碗小皿との間に並べてある。天井からは鰐口《わにぐち》や磬《けい》が枯れた釣荵《つりしのぶ》と一しょに下がっている。
 純一はいつも通る度に、ちょいとこの店を覗いて過ぎる。掘り出し物をしようとして、骨董店《こっとうてん》の前に足を留める、老人の心持と違うことは云うまでもない。純一の覗くのは、或る一種の好奇心である。国の土蔵の一つに、がらくた道具ばかり這入《はい》っているのがある。何に使ったものか、見慣れない器、闕《か》け損じて何
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