相違ないが、今の青年に痛切な感じを与えることはむずかしかろう。痛切でないばかりではない。事に依ると、あんなクラッシックな、俳諧《はいかい》の用語で言えば、一時流行でなくて千古不易の方に属する作を味う余裕は、青年の多数には無いと云っても好かろう。極端に言えば、若しシェエクスピイアのような作が新しく出たら、これはドラムではない、テアトルだなんぞと云うかも知れない。その韻文をも冗漫だと云うかも知れない。ギョオテもそうである。ファウストが新作として出たら、青年は何と云うだろうか。第二部は勿論《もちろん》であるが、第一部でも、これは象徴ではない、アレゴリイだとも云い兼ねまい。なぜと云うに、近世の写実の強い刺戟《しげき》に慣れた舌には、百年|前《ぜん》の落ち着いた深い趣味は味いにくいからである。そこでその古典的なシェエクスピイアがどう演ぜられたか。当時の新聞雑誌で見れば、ヴェネチアの街が駿河台の屋鋪町《やしきまち》で、オセロは日清戦争時代の将官の肋骨服《ろっこつふく》に、三等勲章を佩《お》びて登場したということである。その舞台や衣裳《いしょう》を想像して見たばかりで、今の青年は侮辱せられるような感
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