の時小さくなった。そしてその上に何物をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ跳《おど》っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄《もてあそ》んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入《い》っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛《こわ》がるには当らない。何も山鹿素行《やまがそこう》や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。
それから新しい事でもなんでもないが、純一がこれまで蓄えて持っている思想の中心を動かされたのは拊石が諷刺《ふうし》的な語調から、忽然《こつぜん》真面目になって、イブセンの個人主義に両面があるということを語り出した処であった。拊石は先《ま》ず、次第にあらゆる習慣の縛《いましめ》を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、所謂《いわゆる》赤い糸になって一貫していることを言った。「種々の別離を己は閲《けみ》し
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