事でありました。わたくしもイブセンに就いて、別に深く考えたことはない。イブセンに就いてのわたくしの智識は、諸君の既に有しておられる智識以上に何物もあるまいと思う。しかし知らない事を聞くのは骨が折れる。知っていることを聞くの気楽なるに如《し》かずである。お菓子が出ているようだから、どうぞお菓子を食べながら気楽に聞いて下さい」
こんな調子である。声色《せいしょく》を励ますというような処は少しもない。それかと云って、評判に聞いている雪嶺《せつれい》の演説のように訥弁《とつべん》の能弁だというでもない。平板極まる中《うち》に、どうかすると非常に奇警な詞が、不用意にして出て来るだけは、雪嶺の演説を速記で読んだときと同じようである。
大分話が進んで来てから、こんな事を言った。「イブセンは初め諾威《ノオルウェイ》の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴《ヨオロッパ》のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はそ
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