た。
 今まで黙っている一人の怜悧《れいり》らしい男が、遠慮げな男を顧みて、こう云った。
「しかし教員を罷めただけでも、鴎村なんぞのように、役人をしているのに比べて見ると、余程芸術家らしいかも知れないね」
 話題は拊石から鴎村に移った。
 純一は拊石の物などは、多少興味を持って読んだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの飜訳《ほんやく》だけを見て、こんなつまらない作を、よくも暇潰《ひまつぶ》しに訳したものだと思ったきり、この人に対して何の興味をも持っていないから、会話に耳を傾けないで、独りで勝手な事を思っていた。
 会話はいよいよ栄《さか》えて、笑声《わらいごえ》が雑《まじ》って来る。
「厭味だと云われるのが気になると見えて、自分で厭味だと書いて、その書いたのを厭味だと云われているなんぞは、随分みじめだね」と、怜悧らしい男が云って、外の人と一しょになって笑ったのだけが、偶然純一の耳に止まった。
 純一はそれが耳に止まったので、それまで独《ひとり》で思っていた事の端緒を失って、ふいとこう思った。自分の世間から受けた評に就いてかれこれ云えば、馬鹿にせられるか、厭味と思われるかに極《き》
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