ているのは、今夜演説に来る拊石である。老成らしい一人《いちにん》が云う。あれはとにかく芸術家として成功している。成功といっても一時世間を動かしたという側でいうのではない。文芸史上の意義でいうのである。それに学殖がある。短篇集なんぞの中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきゃ思われないようなのがあると云う。そうすると、さっき声高に話していた男が、こう云う。学問や特別知識は何の価値もない。芸術家として成功しているとは、旨く人形を列《なら》べて、踊らせているような処を言うのではあるまいか。その成功が嫌《いや》だ。纏《まと》まっているのが嫌だ。人形を勝手に踊らせていて、エゴイストらしい自己が物蔭に隠れて、見物の面白がるのを冷笑しているように思われる。それをライフとアアトが別々になっているというのだと云う。こう云っている男は近眼目がねを掛けた痩男《やせおとこ》で、柄にない大きな声を出すのである。傍《そば》から遠慮げに喙《くちばし》を容れた男がある。
「それでも教員を罷《や》めたのなんぞは、生活を芸術に一致させようとしたのではなかろうか」
「分かるもんか」
 目金《めがね》の男は一言で排斥し
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