微笑が又純一には気になった。それはどうも自分を見下《みくだ》している微笑のように思われて、その見下されるのが自分の当然受くべき罰のように思われたからである。
純一はどうにかして名誉を恢復《かいふく》しなくてはならないような感じがした。そして余程勇気を振り起して云った。
「どうです。少しお掛なすっては」
「難有《ありがと》う」
右の草履が碾磑《ひきうす》の飛石を一つ踏んで、左の草履が麻の葉のような皴《しゅん》のある鞍馬の沓脱《くつぬぎ》に上がる。お雪さんの体がしなやかに一捩《ひとねじ》り捩られて、長い書生羽織に包まれた腰が蹂口に卸された。
諺《ことわざ》にもいう天長節日和の冬の日がぱっと差して来たので、お雪さんは目映《まぶ》しそうな顔をして、横に純一の方に向いた。純一が国にいるとき取り寄せた近代美術史に、ナナという題のマネエの画があって、大きな眉刷毛《まゆばけ》を持って、鏡の前に立って、一寸横に振り向いた娘がかいてあった。その稍や規則正し過ぎるかと思われるような、細面《ほそおもて》な顔に、お雪さんが好く似ていると思うのは、額を右から左へ斜《ななめ》に掠《かす》めている、小指の大きさ
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