轤チしゃいと、坂井さんが仰《おっし》ゃったと云うのである。純一は躊躇《ちゅうちょ》せずに、只今伺いますと云えと答えた。想うに純一は到底この招きに応ぜずにしまうことは出来なかったであろう。なぜと云うに、縦《よ》しや強《す》ねてことわって見たい情はあるとしても、卑怯《ひきょう》らしく退嬰《たいえい》の態度を見せることが、残念になるに極《き》まっているからである。しかし少しも逡巡《しゅんじゅん》することなしに、承諾の返事をさせたのは、色糸のおちゃらが坂井夫人の為めに緩頬《かんきょう》の労を取ったのだと云っても好《い》い。
純一は直ぐに福住へ行った。
女中に案内せられて、万翠楼《ばんすいろう》の三階の下を通り抜けて、奥の平家立ての座敷に近づくと、電燈が明るく障子に差して、内からは笑声《わらいごえ》が聞えている。Basse《バス》の嘶《いなな》くような笑声である。岡村だなと思うと同時に、このまま引き返してしまいたいような反感が本能的に起って来る。
箱根に於ける坂井夫人。これは純一の空想に度々|画《えが》き出《いだ》されたものであった。鬱蒼《うっそう》たる千年の老木の間に、温泉宿の離れ座敷が
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