B但し慾気のないのが取柄とは、外《ほか》からの側面観で、同家のお辰姉《たつね》えさんの強意見《こわいけん》は、動《やや》ともすれば折檻賽《せっかんまが》いの手荒い仕打になるのである。まさか江戸時代の柳橋芸者の遺風を慕うのでもあるまいが、昨今松さんという絆纏着《はんてんき》の兄《に》いさんに熱くなって、お辰姉えさんの大目玉を喰《く》い、しょげ返っているとはお気の毒」
読んでしまって純一は覚えず微笑《ほほえ》んだ。縦《たと》い性欲の為めにもせよ、利を図ることを忘れることの出来る女であったと云うのが、殆ど嘉言善行《かげんぜんこう》を見聞きしたような慰めを、自分に与えてくれるのである。それは人形喰いという詞が、頗《すこぶ》る純一の自ら喜ぶ心を満足せしめるのである。若い心は弾力に富んでいる。どんな不愉快な事があって、自己を抑圧していても、聊《いささ》かの弛《ゆる》みが生ずるや否や、弾力は待ち構えていたようにそれを機として、無意識に元に帰そうとする。純一はおちゃらの記事を見て、少し気分を恢復《かいふく》した。
丁度そこへ女中が来て、福住から来た使《つかい》の口上を取り次いだ。お暇ならお遊びにい
前へ
次へ
全282ページ中257ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング