オて本を革包に投げ込んで、馬鹿にせられたような心持になっていた。
 間もなく汽車が国府津に着いた。純一はどこも不案内であるから、余り遅くならないうちに泊って、あすの朝箱根へ行《い》こうと思った。革包と膝掛とを自分に持って、ぶらりと停車場を出て見ると、図抜けて大きい松の向うに、静かな夜の海が横たわっている。
 宿屋はまだ皆|開《あ》いていて、燈火《ともしび》の影に女中の立ち働いているのが見える。手近な一軒につと這入って、留めてくれと云った。甲斐々々《かいがい》しい支度をした、小綺麗な女中が、忙《いそが》しそうな足を留めて、玄関に立ちはたがって、純一を頭のてっぺんから足の爪尖《つまさき》まで見卸して、「どこも開《あ》いておりません、お気の毒様」と云ったきり、くるりと背中を向けて引っ込んでしまった。
 次の宿屋に行《ゆ》く。同じようにことわられる。三軒目も四軒目も同じ事である。インバネスを着て、革包と膝掛とを提げた体裁は、余り立派ではないに違いない。しかし宿屋で気味を悪がって留めない程不都合な身なりだと云うでもあるまい。一人旅の客を留めないとか云う話が、いつどこで聞いたともなく、ぼんやり記憶
前へ 次へ
全282ページ中240ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング