ない語《ことば》なのである。極めて平易に書いた、極めて浅薄な、廉価なる喝采《かっさい》を俗人の読者に求めているらしい。タヴォオテの、あの巻頭の短篇を読んで見れば、多少隔靴の憾《うらみ》はあるとしても、前後の文意で、ニヒト・ドホがまるで分からない筈は無い。それが分かっているとすれば、この語《ことば》の説明に必然伴って来る具体的の例が、どんなものだということも分かっていなくてはならない。実際少しでも独逸が読めるとすれば、その位な事は分かっている筈である。それが分かっていて、なんの下心もなく、こんな質問をすることが出来る程、茂子さんはinnocente《アンノサント》なのだろうか。それでは、篁村翁《こうそんおう》にでも言わせれば、余りに「紫の矢絣《やがすり》過ぎている」それであの人のいつも作るような、殆ど暴露的な歌が作られようか。今の十六の娘にそんなのがあろうか。それともと考え掛けて、大村はそれから先きを考えることを憚《はばか》ったと云うのである。
 茂子さんはそれきり来なくなった。大村が云うには、二人は素《も》と交互の好奇心から接近して見たのであるが、先方でもこっちでも、求むる所のものを得
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