詞で始まる歌が、百首のうちに幾つあるということを諳《そら》んじてしまって、初五文字《しょごもじ》を読んでしまわないうちに、どれでも好《い》いように、二三枚のかるたを押えてしまうことが出来なくては、上手下手の評に上《のぼ》ることが出来ない。もうあんな風になってしまえば、歌のせんは無い。子供のするいろはがるたも同じ事だ。もっと極端に云えばA《ア》の札B《ベ》の札というようなものを二三枚ずつ蒔《ま》いて置いて、A《ア》と読んだ時、蒔いてあるA《ア》の札を残らず撈《さら》ってしまえば好いわけになる。若し歌がるたに価値があるとすれば、それは百首の歌を諳んじただけで、同じ詞で始まる歌が幾つあるかなんと云う、器械的な穿鑿《せんさく》をしない間の楽みに限られているだろう。僕なんぞもそんな事で記憶に負担をさせるよりは、何かもっと気の利いた事を覚えたいね」
「一体あんな事を遣ると、なんにも分からない、音《おん》の清濁も知らず、詞の意味も知らないで読んだり取ったりしている、本当のroutiniers《ルチニエエ》に愚弄《ぐろう》せられるのが厭《いや》です」
「それでは君にはまだ幾分の争気がある」
「若いので
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