み易い。的を立てるとなると、sport《スポルト》になる。sport《スポルト》になると、直接にもせよ間接にもせよ競争が生ずる。勝負が生ずる。畢竟《ひっきょう》倦まないと云うのは、勝とう勝とうと思う励みのあることを言うのであろう。ところが個人毎に幾らかずつの相違はあるとしても、芸術家には先ずこの争う心が少い。自分の遣《や》っている芸術の上でからが、縦《たと》え形式の所謂競争には加わっていても、製作をする時はそれを忘れている位である。Paul Heyse《パウル ハイゼ》の短編小説に、競争仲間の彫像を夜忍び込んで打ち壊すことが書いてあるが、あれは性格の上の憎悪を土台にして、その上に恋の遺恨をさえ含ませてある。要するに芸術家らしい芸術家は、恐らくはsport《スポルト》に熱中することがむずかしかろうと云うのである。
 純一は思い当る所があるらしく、こう云った。「僕は芸術家がる訳ではないのですが、どうも勝負事には熱心になられませんね」
「もう今に歌がるたの季節になるが、それでは駄目だね」
「全く駄目です。僕はいつも甘んじて読み役に廻されるのです」と、純一は笑いながら云った。
「そうさね。同じ
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