ぶりもの》は柔かい茶褐《ちゃかつ》の帽子で、足には紺足袋に薩摩下駄を引っ掛けている。当前《あたりまえ》の書生の風俗ではあるが、何から何まで新しい。これで昨夕《ゆうべ》始めて新橋に着いた田舎者とは誰にも見えない。小女は親しげに純一を見て、こう云った。
「大石さんの所《とこ》へいらっしったの。あなた今時分いらっしったって駄目よ。あの方は十時にならなくっちゃあ起きていらっしゃらないのですもの。ですから、いつでも御飯は朝とお午《ひる》とが一しょになるの。お帰りが二時になったり、三時になったりして、それからお休みになると、一日|寐《ね》ていらっしってよ」
「それじゃあ、少し散歩をしてから、又来るよ」
「ええ。それが好うございます」
 純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。二三歩すると袂《たもと》から方眼図の小さく折ったのを出して、見ながら歩くのである。自分の来た道では、官員らしい、洋服の男や、角帽の学生や、白い二本筋の帽を被った高等学校の生徒や、小学校へ出る子供や、女学生なんぞが、ぞろぞろと本郷の通《とおり》の方へ出るのに擦《す》れ違ったが、今坂の方へ曲って見ると、まるで往来《ゆきき》がない。
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