た。
「わたくし二十七日に立って、箱根の福住《ふくずみ》へ参りますの。一人で参っておりますから、お暇ならいらっしゃいましな」
「さようですね。僕は少し遣って見ようかと思っている為事《しごと》がありますから、どうなりますか分りません。もう大変遅くなりました」
「でもお暇がございましたらね」
 奥さんが、傍に這っている、絹糸を巻いた導線の尖の控鈕《ぼたん》を押すと、遠くにベルの鳴る音がした。廊下の足音が暫くの間はっきり聞えていてから、次の間まで来たしづえの御用を伺う声がした。呼ばなければ来ないように訓練してあるのだなと、己は思った。
 しづえは己を書棚のある洋室へ案内するのである。己は迂濶《うかつ》にも、借りている一巻を返すことに就いてはいろいろ考えていたが、跡を借《かり》るということに就いてはちっとも考えていなかった。己は思案する暇《ひま》もなく、口実の書物を取り換えに座を起った。打勝たれた人の腑甲斐《ふがい》ない感じが、己の胸を刺した。
 先きに立って這入って、電燈を点じてくれたしづえと一しょに、己は洋室にいたとき、意識の海がまだ波立っていた為めか、お雪さんと一しょにいるより、一層強い
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