の店先に立ててあるような、木の枠に紙を張り附けた看板が立て掛けてある。上の方へ横に羅馬《ロオマ》字でDIDASKALIA《ジダスカリア》と書いて、下には竪《たて》に十一月例会と書いてある。
「ここだよ。二階へ上がるのだ」
瀬戸は下駄や半靴の乱雑に脱ぎ散らしてある中へ、薩摩下駄を跳ね飛ばして、正面の梯子《はしご》を登って行《い》く。純一は附いて上がりながら、店を横目で見ると、帳場の格子の背後《うしろ》には、二十《はたち》ばかりの色の蒼《あお》い五分刈頭の男がすわっていて、勝手に続いているらしい三尺の口に立っている赧顔《あからがお》の大女と話をしている。女は襷《たすき》がけで、裾をまくって、膝《ひざ》の少し下まである、鼠色になった褌《ふんどし》を出している。その女が「いらっしゃい」と大声で云って、一寸こっちを見ただけで、轡虫《くつわむし》の鳴くような声で、話をし続けているのである。
二階は広くてきたない。一方の壁の前に、卓《テエブル》と椅子とが置いてあって、卓の上には花瓶に南天が生けてあるが、いつ生けたものか葉がところどころ泣菫《きゅうきん》の所謂《いわゆる》乾反葉《ひそりば》になっている。その側に水を入れた瓶とコップとがある。
十四五人ばかりの客が、二つ三つの火鉢を中心にして、よごれた座布団の上にすわっている。間々にばら蒔《ま》いてある座布団は跡から来る客を待っているのである。
客は大抵|紺飛白《こんがすり》の羽織に小倉袴《こくらばかま》という風で、それに学校の制服を着たのが交っている。中には大学や高等学校の服もある。
会話は大分盛んである。
丁度純一が上がって来たとき、上《あが》り口《くち》に近い一群《ひとむれ》の中で、誰《たれ》やらが声高《こわだか》にこう云うのが聞えた。
「とにかく、君、ライフとアアトが別々になっている奴は駄目だよ」
純一は知れ切った事を、仰山らしく云っているものだと思いながら、瀬戸が人にでも引き合わせてくれるのかと、少し躊躇《ちゅうちょ》していたが、瀬戸は誰やら心安い間らしい人を見附けて、座敷のずっと奥の方へずんずん行って、その人と小声で忙《せわ》しそうに話し出したので、純一は上り口に近い群の片端に、座布団を引き寄せて寂しく据わった。
この群では、識《し》らない純一の来たのを、気にもしない様子で、会話を続けている。
話題に上っ
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