れている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭《いや》な病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。ようようの思《おもい》でこの人に為て貰った事は巴里の書肆《しょし》へ紹介して貰っただけである。
こんな事を思っている内に、故郷の町はずれの、田圃《たんぼ》の中に、じめじめした処へ土を盛って、不恰好《ぶかっこう》に造ったペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。聖公会と書いた、古びた木札の掛けてある、赤く塗った門を這入ると、瓦《かわら》で築き上げた花壇が二つある。その一つには百合《ゆり》が植えてある。今一つの方にはコスモスが植えてある。どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋の季《すえ》に覚束《おぼつか》なげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。中にもコスモスは、胡蘿蔔《にんじん》のような葉がちぢれて、瘠《や》せた幹がひょろひょろして立っているのである。
その奥の、搏風《はふ》だけゴチック賽《まがい》に造った、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭西語を習いに行《ゆ》く、少数の青年の外には、いつまで立っても、この中へ這入って来る人はない。ベルタンさんは老いぼれた料理人兼小使を一人使って、がらんとした、稍《やや》大きい家に住んでいるのだから、どこも彼処《かしこ》も埃《ほこり》だらけで、白昼に鼠《ねずみ》が駈け廻っている。
ベルタンさんは長崎から買って来たという大きいデスクに、千八百五十何年などという年号の書いてある、クロオスの色の赤だか黒だか分からなくなった書物を、乱雑に積み上げて置いている。その側には食い掛けた腸詰や乾酪《かんらく》を載せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来たFigaro《フィガロ》の反古《ほご》を被《かぶ》せて置いてある。虎斑《とらふ》の猫が一匹積み上げた書物の上に飛び上がって、そこで香箱を作って、腸詰の※[#「※」は「勹+二」、第3水準1−14−75、34−3]《におい》を嗅《か》いでいる。
その向うに、茶褐色の長い髪を、白い広い額から、背後《うしろ》へ掻《か》き上げて、例のタラアルまがいの黒い服を着て、お祖父《じい》さん椅子に、誰《たれ》やらに貰ったという、北海道の狐の皮を掛けて、ベルタンさんが据わ
前へ
次へ
全141ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング