いよ」
純一は起って閾際まで出た。雀はついと飛んで行った。お雪さんは純一の顔を仰いで見た。
「あら、とうとう逃がしておしまいなすってね」
「なに、僕が来なくたって逃げたのです」大分遠慮は無くなったが、下手な役者が台詞《せりふ》を言うような心持である。
「そうじゃないわ」詞遣は急劇に親密の度を加えて来る。少し間を置いて、「わたし又来てよ」と云うかと思うと、大きい目の閃《ひらめき》を跡に残して、千代田草履は飛石の上をばたばたと踏んで去った。
五
純一は机の上にある仏蘭西《フランス》の雑誌を取り上げた。中学にいるときの外国語は英語であったが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通って、仏語を学んだ。初《はじめ》は暁星《ぎょうせい》学校の教科書を読むのも辛かったが、一年程通っているうちに、ふいと楽に読めるようになった。そこで教師のベルタンさんに頼んで、巴里《パリイ》の書店に紹介して貰った。それからは書目を送ってくれるので、新刊書を直接に取寄せている。雑誌もその書店が取り次いで送ってくれるのである。
開けた処には、セガンチニの死ぬるところが書いてある。氷山を隣に持った小屋のような田舎屋である。ろくな煖炉《だんろ》もない。そこで画家は死に瀕《ひん》している。体のうちの臓器はもう運転を停《とど》めようとしているのに、画家は窓を開けさせて、氷の山の巓《いただき》に棚引く雲を眺めている。
純一は巻を掩《おお》うて考えた。芸術はこうしたものであろう。自分の画《え》がくべきアルプの山は現社会である。国にいたとき夢みていた大都会の渦巻は今自分を漂わせているのである。いや、漂わせているのなら好《い》い。漂わせていなくてはならないのに、自分は岸の蔦蘿《つたかずら》にかじり附いているのではあるまいか。正しい意味で生活していないのではあるまいか。セガンチニが一度も窓を開けず、戸の外へ出なかったら、どうだろう。そうしたら、山の上に住まっている甲斐《かい》はあるまい。
今東京で社会の表面に立っている人に、国の人は沢山ある。世はY県の世である。国を立つとき某元老に紹介して遣ろう、某大臣に紹介して遣ろうと云った人があったのを皆ことわった。それはそういう人達がどんなに偉大であろうが、どんなに権勢があろうが、そんな事は自分の目中《もくちゅう》に置いていなかったからである。それから又こんな事を思った
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