サ未《かげんみ》三つの世界から、いろいろな客が音信《おとず》れて来る。国を立って東京へ出てから、まだ二箇月余りを閲《けみ》したばかりではある。しかし東京に出たら、こうしようと、国で思っていた事は、悉《ことごと》く泡沫《ほうまつ》の如くに消えて、積極的にはなんのし出来《でか》したわざも無い。自分だけの力で為し得ない事を、人にたよってしようと云うのは、おおかた空頼《そらだの》めになるものと見える。これに反して思い掛けなく接触した人から、種々な刺戟を受けて、蜜蜂《みつばち》がどの花からも、変った露を吸うように、内に何物かを蓄えた。その花から花へと飛び渡っている間、国にいた時とは違って、己は製作上の拙《つたな》い試みをせずにいた。これが却て己の為めには薬になっていはすまいか。今何か書いて見たら、書けるようになっているかも知れない。国にいた時、碁を打つ友達がいた。或る会の席でその男が、打たずにいる間に棋《ご》が上がると云う経験談をすると、教員の山村さんが、それは意識の閾《しきい》の下で、棋の稽古をしていたのだと云った事がある。今書いたら書けるかも知れない。そう思うとこの家《うち》で、どこかの静かな部屋を借りて、久し振に少し書き始めて見たいものだ。いや。そうだっけ。それでは切角のあの実行が出来ない。ええ糞《くそ》。坂井の奥さんだの岡村だのと云う奴が厄介だな。大村の言草ではないが、Der Teufel hole sie!《デル トイフェル ホオレ ジイ》だ。好《い》いわ。早く東京へ帰って書こう。
純一は夜着をはね退《の》けて、起きて敷布団の上に胡坐《あぐら》を掻《か》いて、火鉢に火のないのをも忘れて、考えている。いよいよ書こうと思い立つと共に、現在の自分の周囲も、過去に自分の閲して来た事も、総て価値を失ってしまって、咫尺《しせき》の間《あいだ》の福住の離れに、美しい肉の塊が横《よこた》わっているのがなんだと云うような気がするのである。紅《くれない》が両の頬に潮《ちょう》して、大きい目が耀《かがや》いている。純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことは度々あったが、今のような、夕立の前の雲が電気に飽きているような、気分の充実を感じたことはない。
純一が書こうと思っている物は、現今の流行とは少し方角を異にしている。なぜと云うに、そのsujet《シュジェエ》は国の亡くなったお祖
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