《せいめい》の貴さを覚《さと》らない処から、廉価な戦死をするのだと云っている。誰《たれ》の書物をでも見るが好《い》い。殆ど皆そんな風に観察している。こっちでは又西洋人が太古のままの個人主義でいて、家族も国家も知らない為めに、片っ端から無政府主義になるように云っている。こんな風にお互にmeconnaissance[#一つ目の「e」は「´」付き]《メコンネッサンス》の交換をしているうちに、ドイツとアメリカは交換大学教授の制度を次第に拡張《こうちょう》する。白耳義《ベルギイ》には国際大学が程なく立つ。妙な話じゃないか」と云って、大村は黙ってしまった。
 純一も黙って考え込んだ。しかしそれと同時に尊敬している大村との隔てが、遽《にわ》かに無くなったような気がしたので、純一は嬉しさに覚えず微笑《ほほえ》んだ。
「何を笑うんだい」と、大村が云った。
「きょうは話がはずんで、愉快ですね」
「そうさ。一々の詞を秤《はかり》の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね」
「なぜ人間は年を取るに従って偽善に陥ってしまうでしょう」
「そうさね。偽善というのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違いないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」
 純一は暫く考えて云った。「それでもどうにかして幾分かその甲らの硬くなるのを防ぐことは出来ないでしょうか」
「甲らばかりでは無い。全身の弾力を保存しようという問題になるね。巴里《パリイ》のInstitut Pasteur《アンスチチュウ パストヨオル》にMetschnikoff《メチュニコッフ》というロシア人がいる。その男は人間の体が年を取るに従って段々石灰化してしまうのを防ぐ工夫をしているのだがね。不老不死の問題が今の世に再現するには、まあ、あんな形式で再現する外ないだろうね」
「そうですか。そんな人がありますかね。僕は死ぬまいなんぞとは思わないのですが、どうか石灰化せずにいたいものですね」
「君、メチュニコッフ自身もそう云っているのだよ。死なないわけには行《い》かない。死ぬるまで弾力を保存したいと云うのだね」
 二人共余り遠い先の事を考えたような気がしたので、言い合せたように同時に微笑んだ。二人はまだ老《おい》だの死だのということを、際限も無く遠いもののように思っている。人一人の生涯というものを測
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