かく湖水らしい。好《い》い景色だと云って好《い》い処もある。同じ湖水でも、洞庭湖《どうていこ》は駄目だ。冬|往《い》って見たからかも知れないが、洲《す》ばかりあって一向湖水らしくない」
先生の支那に行《ゆ》かれた時の話と見える。先生は純一の目の自分の顔に注がれているのに気が附いて、「失礼ですが、持ち合せていますから」と云って、杯《さかずき》を差した。それを受けると、横の方から赤い襦袢《じゅばん》の袖の絡んだ白い手がひょいと出て、酌をした。
その手の主を見れば、さっき踊っているのを、瀬戸が別品だと云って褒めた女であった。
純一は先生に返杯をして、支那の芝居の話やら、西瓜《すいか》の核《たね》をお茶受けに出す話やらを跡に聞き流して、自分の席に帰った。両隣共依然として空席になっている。純一はぼんやりして、あたりを見廻している。
同じ列の曽根の空席を隔てた先きに、やはり官吏らしい、四十恰好の、洋服の控鈕《ぼたん》の孔から時計の金鎖を垂らしている男が、さっき三味線を弾いていた、更けた芸者を相手に、頻《しき》りに話している。小さい銀杏返《いちょうがえ》しを結《い》って、黒繻子《くろじゅす》の帯を締めている中婆《ちゅうば》あさんである。相手にとは云っても、客が芸者を相手にしている積りでいるだけで、芸者は些《すこ》しもこの客を相手にしてはいない。客は芸者を揶揄《からか》っている積りで、徹頭徹尾芸者に揶揄われている。客を子供扱いにすると云おうか。そうでもない。無智な子供を大人が扱うには、多少いたわる情がある。この老妓《ろうぎ》はmalintentionne[# 最後の「e」は「´」付き]《マルアンタンションネエ》に侮辱を客に加えて、その悪意を包み隠すだけの抑制をも自己の上に加えていないのである。客は自己の無智に乗ぜられていながら、少しもそれを曉《さと》らずに、薄い笑談《じょうだん》の衣を掛けた、苦い皮肉を浴《あび》せられて、無邪気に笑い興じている。
純一は暫く聞いていて、非常に不快に感じた。馬鹿にせられている四十男は、気の毒がって遣る程の価値はない。それに対しては、純一は全然indifferent[# 一つ目の「e」は「´」付き]《アンジフェラン》でいる。しかし老妓は憎い。
芸者は残忍な動物である。これが純一の最初に芸者というものに下した解釈であった。
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