つた女だと云ふことが知れた。
「さあ/\これからお菓子を拵へるのだ。」婆あさんは先に立つて、ドルフの買つて来た物を蒸鍋《むしなべ》に入れて、杓子で掻き交ぜはじめた。袖を高くたくし上げて、茶色の腕を出して、甲斐々々しく交ぜるのである。交ぜてしまふと、蒸鍋を竈の傍に据ゑて、上に切れを掛けて置く。爺いさんは焼鍋《やきなべ》を出して、玉葱でこすつて、一寸火に掛けて温める。ドルフとリイケとは林檎を剥いて、心を除《の》けて輪切にしてゐる。
 此の時婆あさんが今一つの蒸鍋を出して、水に、粉に、チミアンに、ロオレルと其中へ入れてゐたが、最後に何やらこつそり出して、人に隠すやうに入れて、急いで蓋をして、火に掛けた。
 ドルフは何を入れたのか見えなかつたので、第二の蒸鍋の蓋が躍つて、茶色の蒸気が立ち出すや否や、鼻を鍋の方へ向けて、胡桃《くるみ》が這入る程鼻の孔を大きくして嗅いでゐた。併しどうも分からなかつた。そのうち母親が蓋を取つて見さうにするので、ドルフは足を翹《つまだ》てて背後《うしろ》へ窺ひ寄つた。屈んだり、伸び上がつたり、わざと可笑《をか》しい風をして近寄つたのである。リイケは横目でそれを見ながら、平手で口を押さへて、笑声を漏さぬやうにしてゐる。ドルフはやう/\母親の背後に来て、「わあつ」と声を出しながら、鍋を覗いた。併しネルラは息子の来るのを知つてゐたので、すぐに蓋をして、振り返つて腰を屈めて礼をした。
 ドルフは笑つて云つた。「おつ母さん、駄目々々。わたしはちやあんと見ました。シツペの檀那のとこの古猫を掴まへて、魚蝋の蝋で煮てゐるのでせう。」
「さうだとも。今にあつちの焼鍋の方では、鼠を焼いて食べさせます。もうわたしに構はないで食事を拵へておくれ。」
 ドルフはこそ/\部屋に附いてゐる板囲の中へ逃げ込んだ。そして糊の附いた上シヤツを上衣《うはぎ》の上へはおつて、シヤツの裾を振り廻しながら出て来た。母親はふいと振り向いて見て、腰に両手を支へて笑つてゐたが、目からは涙が出て来た。リイケは一しよに笑ひながら手を拍つた。親爺は独り笑はずにゐたが、つと立つて棚から皿を卸して、白シヤツで拭き出した。ネルラ婆あさんはとう/\椅子の上に腰を卸して、苦しくなるまで笑つた。
 食事は出来た。水に映つた月のやうに皿が光る。錫のフオオクが本銀のやうに赫く。
 婆あさんが最後に蓋を切つて味を見て、そ
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