《はんぱく》する積《つもり》で、高尾が仙台へ連れて行かれて、子孫を彼地《かのち》に残したと書いたのだが、それは誤を以て誤に代へたのである。

      二

 然らば奥州話にある仏眼寺の墓の主《ぬし》は何人《なんぴと》かと云ふに、これは綱宗の妾《せふ》品《しな》と云ふ女で、初から椙原氏《すぎのはらうぢ》であつたから、子孫も椙原氏を称したのである。品は吉原にゐた女でもなければ、高尾でもない。
 品は一体どんな女であつたか。私は品川に於ける綱宗を主人公にして一つの物語を書かうと思つて、余程久しい間、其結構を工夫してゐた。綱宗は凡庸人ではない。和歌を善《よ》くし、筆札《ひつさつ》を善くし、絵画を善くした。十九歳で家督をして、六十二万石の大名たること僅《わづか》に二年。二十一歳の時、叔父|伊達兵部少輔宗勝《だてひやうぶせういうむねかつ》を中心としたイントリイグに陥いつて蟄居《ちつきよ》の身となつた。それから四十四歳で落飾《らくしよく》するまで、一子亀千代の綱村《つなむら》にだに面会することが出来なかつた。亀千代は寛文九年に十一歳で総次郎綱基《そうじらうつなもと》となり、踰《こ》えて十一年、兵
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