置いて、それを自ら食つて死んだ。原田に命ぜられて入れは入れたが、主に薦《すゝ》めるに忍びないで自ら食つたと云ふのである。此事は丹三郎が前晩に母に打明けて置いたので、母も刄《やいば》に伏したさうである。亀千代はもう十歳になつてゐた。丁度綱宗の漁色事件に高尾が無いやうに、此置毒事件にも終始俗説の浅岡に相当する女が無い。
 亀千代のかう云ふ危い境遇を見て、初子は子のため、又品は主のため、保護しようとしたかも知れない。就中《なかんづく》初子は亀千代の屋敷に往来した形迹《けいせき》があるが、惜むらくは何事も伝はつてゐない。
 次に綱宗の憂慮した仙台の政治はどうであるか。仙台騒動の此方面の中心人物は綱宗の叔父にして亀千代の後見の一人たる伊達兵部少輔であつた。兵部に結べば功なきも賞せられ、兵部に抗すれば罪なきも罰せられたと云ふわけで、秕政《ひせい》の眼目は濫賞濫罰《らんしやうらんばつ》にあつたらしい。仙台にゐて之《これ》を行つた首脳は渡辺金兵衛で、寛文三年頃から目附の地位にゐて権勢を弄《ろう》しはじめ、四年に小姓頭《こしやうがしら》になつてから、愈々《いよ/\》専横を極めた。後に伊達安芸が重罪を被《
前へ 次へ
全20ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング