させた。同時に膳番以下七八人の男と女中十人|許《ばかり》とも殺されたさうである。此時女中鳥羽は毒のあつた膳部の周囲を立ち廻つてゐたとかのために、仙台へ遣つて大条玄蕃《だいでうげんば》に預けられた。鳥羽は道円に舟で饗応《きやうおう》せられたことなどがあるから、果して道円が毒を盛つたとすると、鳥羽に疑はしい節《ふし》がないでもないが、後に仙台で扶持《ふち》を受けて優遇せられてゐたことを思へば罪の有無が明かでなくなる。又道円を殺させた兵部が毒を盛らせたとすると、其目的はどこにあつただらうか。亀千代が死んでも、初子の生んだ亀千代の弟があるから、兵部の子|東市正《いちのかみ》に宗家《そうけ》を襲《つ》がせることは出来まい。然らば宗家の封《ほう》を削らせて、我家の禄を増させようとでもしたのだらうか。これは亀千代が八歳の時の出来事である。

      六

 二度目の置毒事件は寛文八年に白金台の屋敷で起つた。亀千代が浜屋敷で火事に逢つて移つて来てから、愛宕下の新築に入るまでの間の出来事である。頃は八月某日に原田甲斐の世話で小姓《こしやう》になつてゐた塩沢丹三郎と云ふものが、鱸《すゞき》に毒を入れて
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